文化・歴史

東京五輪で輝いてもおかしくなかったエース候補3人

東京五輪で金メダル、という大きな目標のために多くの選手を試してきた日本五輪代表。2017年のチーム立ち上げ以降、召集された延べ人数は実に80名を超えている。その中には、かつてエースと呼ばれた選手たちも大勢存在している。彼らはその時々でチームの核として期待され、そしてリストから消えていった。

日本サッカー界の悲願のひとつに、五輪サッカー競技におけるメダル獲得がある。W杯出場を果たす以前からの大きな目標であったが、1968年メキシコ五輪の銅メダル以来、表彰台に届いたことは一度もない。故に東京五輪をメダル獲得への最大のチャンスとして、日本は並々ならぬ強化と数多くのテストを繰り返し続けてきた。結果、メンバー22人のうちA代表15名、海外組9名(ともにオーバーエイジ含む)という、経験と実力を兼ね備えた選手たちを揃えることができた。メディアには彼らを“史上最強”と推す声が多く、単なるメダルの獲得ではなく1番キレイな色を望まれてしまうのはやむを得ないところだろうか。

だが、彼ら22人だけがすべてでは決してない。この史上最強チームをかたち作るまでに、大会本番での活躍を期待され、その期待に応えるべく代表のシャツを着て戦ってくれたエース達が大勢いたことを忘れてはいけない。今回はその中でも本当に一部で恐縮だが、“かつての東京五輪エース候補”3選手を改めて紹介したいと思う。

【小川航基(おがわ こうき)】FW ジュビロ磐田 1997年8月8日生まれ

2015年にU-18代表に選出されてからは、常に各世代代表のエースとして名を連ねている小川航基。2019年にはE-1サッカー選手権・香港戦でA代表デビュー、その試合で史上3人目となる代表初出場でのハットトリックを達成するなど、FWの序列で言えば東京五輪に限りなく近い選手だった。高校時代から半月板損傷や前十字靭帯断裂と幾度となく大きなケガに苦しめられたが、それによってチームのエースという地位が揺らぐことはなかった。

2019年には水戸ホーリーホックへ育成型期限付き移籍を決断した小川。ライバルたちが続々と海外移籍を果たす一方で、彼は国内で勝負をかけた。

五輪が近づくにつれ、メダル獲得のキーマンとして周囲からの注目が高まる一方で、当の小川本人はというと2019年の取材でこのように語っていた。

「まずはメンバーに選ばれなければ始まらないし、だからこそ所属チームで結果を残さないといけません。」

「所属チームで試合に出ていなければ、メンバーから落とされる。その危機感は強いです。」

サッカーダイジェストWeb 2019年4月15日記事より

コロナ禍により1年延期を余儀なくされた東京五輪開幕の年、2021年シーズンは彼にとって厳しいものとなった。所属するジュビロ磐田のリーグ開幕戦こそスタメンだった小川だが、以降は多くの時間をベンチで過ごしており、かつて担っていたそのポジションにはブラジル人FWルキアンが据えられている。五輪による中断までの間、全23試合のうち出場数は19。その中でプレータイム20分以下が14試合、10分にも満たない試合は8試合もあった。最もアピールが必要な時期にスーパーサブ起用、チーム状態が好調なだけに本人にとっては厳しい“逆風”となった。

長らく五輪代表のエースという重責を担ってきたにもかかわらず、最後の最後でライバル達にまくられてしまった形の小川。だが他に原因を求めるような言い訳はしない。あくまで「敵は自分」と言い切って見せる。

「ルキアンの調子が良くて、自分が出れていない状況だけれど、少ない時間でもアピールして、得点を決めて出場機会を増やすのがプロだと思う。」

日刊スポーツ 2021年4月27日記事より

サブ組中心で臨んだ天皇杯4回戦では、シーズン初ゴールを含む3得点に絡む活躍。続くリーグ戦、V・ファーレン長崎との大事な上位対決で、途中出場から決勝点を叩き込んだ。さらに天皇杯3回戦でも2得点と勝利に貢献、与えられた時間で少しづつ結果を積み重ねてきた。五輪への道は潰えたが、目標はあくまでA代表。小川はじっくりと牙を研ぎながら、静かに捲土重来を期す。

【邦本宜裕(くにもと たかひろ)】MF 全北現代 1997年10月7日生まれ

浦和レッズユースにスカウトされた才能は当時から注目の的。2013年の天皇杯3回戦ではユース選手ながら公式戦デビュー、そのまま初ゴールを決めるという快挙を成し遂げている。だが鮮烈なデビューからわずか2年で浦和を退団、その後に入団したアビスパ福岡でも2年後には契約解除に。いずれも素行不良、“秩序風紀を乱す行為”という自らが招いたことにより、東京五輪世代のエース候補と期待された逸材は多くの人々を失望させることとなった。

2015年に中国で開催されたPanda Cup2015の初戦、U-18キルギス代表と対戦したU-18日本代表。前列左端は小川航基選手、後列左から3人目が邦本宜裕選手。U-20W杯を目指す代表の強化のために行なわれた。
ACL2021のグループリーグ、全北のインサイドハーフとしてガンバ大阪戦にスタメン出場の邦本選手。試合序盤に貴重な2点目をあげている。

国内での居場所を失ったあとの2018年。Kリーグ1(※当時)の慶南FCの入団テストに合格することで、彼の人生は大きく変わる。もともと巧みなドリブルと高いスキルは折り紙つき。その武器を活かすために重要な精神的な部分を育てたのは、当時の慶南の監督だったキム・ジョンブによる部分が大きい。キム監督と出会ってからの成長を、彼は過去の自分と比べてこう語っている。

「サッカーに集中できるようになりました。今の自分には、まだまだ努力が足りていないと感じてます。今はサッカーのことを常に考えています。」

「お金のことはあまり考えていません。どれだけ良いプレーをするか、チームにとって重要な選手になれるか、どうファンを喜ばせるか、どうやってゴールを決めたりアシストできるか。それがモチベーションになっています。」

韓国 国民日報 2020年12月1日記事より
慶南での経験が、彼を本当の意味でのプロフェッショナルにした。

慶南での活躍が認められ、2020年にはKリーグ最強と名高い、全北現代モータースへの移籍を果たした邦本。ここまでジェットコースターのような波乱万丈なキャリアではあったが、今や精神面の弱さが課題だった10代の頃の面影はもうない。現在の彼の実力ならば、更なるステップアップも望めるだろう。

また韓国メディアに「祖父が韓国人である」ことを告白した邦本。今後は外国人枠でなく、韓国人選手として戦うことを選択する可能性もある。いずれにせよ若くして、すでに“背水の陣”の状況。 Kリーグで結果を出し続けなければ、居場所が限られている彼はたちまちサッカー人生の危機を迎えてしまうだろう。だが、逆境に打ち勝つ術を知っている彼だけに、我々が驚くようなニュースをきっと届けてくれるはずだ。

【安部裕葵(あべ ひろき)】MF FCバルセロナB 1999年1月28日生まれ

東京五輪には届かなかったとはいえ、単純にキャリアアップ先のクラブの規模でいえば、安部裕葵にまさる選手はいないのではないだろうか。五輪代表チームの常連であり、2018年に行なわれたU-19アジア選手権では背番号10をつけて戦っていた安部。2019年、鹿島アントラーズからバルセロナB(スペイン3部)へ移籍した当初からフィットし、20試合出場で4ゴールを奪う活躍を見せた。

だが2020年、彼のサッカー人生は暗転する。2月に右足大腿二頭筋を断裂する大ケガを負うと、復帰後まもなく新型コロナウイルスに感染。11月にはトレーニング中に再び同じ箇所を痛め、翌月の復帰戦でも3度目となる“再発”でチームを離れることとなった。結果、東京五輪直前の大事なシーズンに出場できた試合数は、わずかに8。最終リストに彼の名前は記されることはなかった。

東京五輪開幕直前の2021年7月21日。バルセロナの新シーズン最初となる親善試合のピッチに、度重なる怪我を乗り越えた安部の姿が。チームの主力がEURO、コパ・アメリカと、軒並み世界大会に出場したオフシーズン。ロナルト・クーマン監督にしてみれば、新戦力とBチームからの若手を試す選択肢しかなかったかもしれないが、安部にとっては復活をかけた大事な試合だったはずだ。後半始めから登場した安部は、左サイドからのクロスで3点目をお膳立て。相手に退場者が出たとはいえ、チームの快勝に貢献したのだ。

さらにその2日後にはクラブのレジェンドであるセルジの下で、バルサBのテストマッチにも出場。1得点1アシストと、新監督にも好調さを引き続きアピールした。安部本人の気持ちはわからないが、五輪出場を逃したことで新シーズンの準備がしっかりできているのは皮肉なことでもある。

安部の将来を考えれば、五輪に招集されなかったのはチャンスなのか?それを転機に変えれるかは彼次第だ。

ここまで地元メディアからの評価も高く、怪我さえなければバルサBの2部昇格も夢ではない。今後の問題は、年齢的な“締め切り”が近づいているということだろう。22歳という年齢はスペインでは決して早くない。トップ昇格できれば言うことはないが、それが叶わなければ他クラブへの移籍となる。先日ギリシャからのオファー話の記事が報道されたが、具体的にはなっていない。かつての盟友たちが東京で躍動している間に、安部もまた日々厳しい戦いに挑み続けている。

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KATSUDON
KATSUDONLADS FOOTBALL編集長
音楽好きでサッカー好き。国内はJ1から地域リーグ、海外はセリエAにブンデスリーガと、プロアマ問わず熱狂があれば、あらゆる試合が楽しめるお気楽人間。ピッチ上のプレーはもちろん、ゴール裏の様子もかなり気になるオタク気質。好きな選手はネドヴェド。
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