文化・歴史

ラシン万歳!ジョン・レノンが愛するチームは、アルゼンチンにあった??

アルゼンチンのアベジャネーダをホームとする、アルゼンチン“ビッグ5”のひとつ、ラシン・クラブ。数多くのタイトルに輝く名門クラブに関して、ある話題がアルゼンチンメディアを騒がせたことがあった。その内容はなんと、あの「ジョン・レノンがラシンのインチャだった」というもの。これまで贔屓チームはおろか、サッカーの話題すらほとんど語ってこなかった音楽界のレジェンド、その真相は…?

そもそもこの話、アルゼンチンの新聞『Perfil』が、あるビデオの内容について報じたことに端を発する。言わずと知れたイングランド・リヴァプールを代表する世界的4ピースバンド、『ザ・ビートルズ』のメンバー、ジョン・レノンに関するものだった。

インタビュアー「サッカーに興味はあるかい?」

ジョン「いや、ないね。…ちょっと待った!セルティックの相手ってドコだっけ?ラシン?じゃあ、ラシンが好きだ!ラシン、万歳!僕はラシンのファンだよ!」

『442.Perfil.com』2011年3月12日記事より
ラシンにとっての最大のライバルは、同じアベジャネーダ地区にあるインデペンディエンテ。互いに強烈なライバル意識を持つ両者のスタジアムの距離は、わずか200mしか離れていない。
応援の音声がBGMに変わっているが、熱いダービーの様子がわかる動画。

ラシン・クラブといえば、アルゼンチンサッカー黎明期からリーグを牽引する存在。プロ化以前のアマチュアリーグ時代に前人未到の7連覇を含む9度、プロ化して以降も8度の優勝に輝く名門チームだ。あまりの強さのために、他チームのお手本になると当時付けられたニックネーム、“ラ・アカデミア(学院)”は今も使われ続けている。

ラシンが勝ち得た数々の栄誉の中で、ファンたちにとっての最も大きな自慢が、ボカ・ジュニアーズやリバープレートより先に『アルゼンチン勢で世界一になった初のクラブ』という称号だ。ラシンは1969年、FIFAクラブ・ワールドカップの前身となる大会であるインターコンチネンタル・カップを獲得し、見事に世界制覇を果たしている。先のジョンのコメントは、おそらくこの試合のことを指していると思われる。

ホーム&アウェイでも決着がつかず、中立国ウルグアイのモンテビデオでおこなわれた第3戦でラシンが勝利、世界一を獲得した1969年インターコンチネンタル・カップ決勝。だが試合内容はとても褒められたものではなく、双方合わせて6人の退場者を出す荒れた戦いに。ロイター通信は「拳をふり、ブーツを飛ばし、露骨なボディコンタクトによってサッカースキルを放棄した、バーでの乱闘」を形容し、レキップ紙は「悲しく、嘆かわしい光景」と、ラフプレーだらけの大会を痛烈に批判した。だが、その状況はその後の大会でも変わることなく、“中立国・日本での一発勝負”というTOYOTA CUP開催のきっかけとなった。
当時のセルティックのロバート・ケリー会長は、「サッカーのない、ひどく残忍な試合」と3試合を振り返った。ジョック・ステイン監督は、「世界中にある金を支払ったとしても、南米にチームを連れて行くことはない。」と怒り心頭だった。

肝心のビデオが本当に存在するのか、誰がいつ、何のために撮ったのかわかっていない。それでもこの話が本当だと言われている理由は、2人の“証言者”がいるからだ。1人目はアルゼンチンの著名な音楽家でDJ、評論家のボビー・フローレス。ロンドンへ旅行に出かけた際にビデオを見たという彼は、『Perfil』の取材にこう語っている。

それは本当だ!20年前(※90年代)に、ロンドンでビデオを見せてもらったんだ。記者会見とかじゃなく、ちょっとしたやりとりだったんだ。そこにはジョンだけでなく、ジョージやリンゴ、ポールもいた。フアン・アルベルト・バディア(※アルゼンチンの有名な番組パーソナリティー)もその話を知っていると言ってたんだ。本当だよ!

『442.Perfil.com』2011年3月12日記事より

そして2人目はインターコンチネンタル・カップ決勝の第3戦でセルティックからゴールを奪い、ラシンを世界一に導いた男…“チャンゴ”(※アルゼンチン北部に住む人々の通称)こと、フアン・カルロス・カルデナスだ。彼は2007年、『Clarín』紙の取材で「俺の得点が、ジョンが最高に喜んだゴールの1つって聞いたよ。名誉なことだよ。嬉しかったね。」とコメント。件のインタビューが実在したことを匂わせる発言をしていた。実際の動画は未だに見つかってないが、状況証拠的にはシロ、とみなされている。

どのクラブのファンかを公言してこなかったために、多くの憶測を呼ぶことになったジョン。『ビートルズ・アンソロジー』掲載の写真がきっかけで、チャカリータ・ジュニアーズ(アルゼンチン)のファンとも、サンパウロのファンとも疑われたことも。もちろんユニフォームに偶然似たシャツを着ていただけだったが、それだけ世界中に影響を及ぼす人物である証明とも言える。

とは言え、デビュー当初から、ジョンを含めたビートルズのメンバーが贔屓チームを語ることはおろか、サッカーの話題にすら触れてこなかった。(1966年にイングランドがW杯で“唯一”の優勝を果たした時でさえ!)これはバンドの成功の立役者である敏腕マネージャー、ブライアン・エプスタインの方針と言われている。今でこそ有名人がどのクラブのファンかを語ることは当たり前となっているが、当時はバンドイメージを勝手に形作られたり、ライバルファンから敬遠されたりするのを極力避けたかった、という考えだったようだ。前述のチャンゴのインタビューにおいても、「イングランド人とスコットランド人との間の因縁からか、彼はセルティックには勝って欲しくなかったんだ。」と語っていたように、皮肉屋で有名なジョンの、彼なりのユーモアというのが真相らしい。

ちなみに、アルゼンチンのFM局『FM Milenium』でビートルズ専門番組『Mundo Beatles』のDJ、マルティン・アラゴンがジョンの妹・ジュリアにインタビューする機会があり、その際にラシンの件を改めて聞いてみると完全否定されたようだ。ジュリアいわく、「ジョンが本当に好きだったのはクリケットだったが、エリートスポーツである為に自分にはふさわしくないと公言していなかった」とのことだ。

イングランドがW杯でトロフィーを掲げた1969年。ビートルズは日本公演を含むワールドツアー、アルバム『リボルバー』リリース、さらにアメリカツアーと激務をこなしていた。

ジョンがサッカーを語ることはほとんどなかったが、フットボールに全く関心がなかったとは言えないようである。ビートルズ解散後の1974年にリリースしたソロアルバム『Walls and Bridges(※邦題:『心の壁、愛の橋』)』のジャケットには、ジョンが12歳の時に1952年のFAカップ決勝を描いたとされる絵が用いられているのは有名な話だ。

左がジョンのソロアルバムのジャケットに使われた、アーセナルとニューカッスルの1952年FAカップ決勝の絵。右端の背番号9はニューカッスルのレジェンドの1人、ジャッキー・ミルバーン。(右) なお、ジョンのラッキーナンバーを冠した、このアルバム収録のセカンドシングル『#9 Dream(邦題:『夢の夢』)』は全米“9”位となるヒット曲となった。

また、エプスタインが亡くなった1967年にリリースされたビートルズのアルバム、『サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・バンド』のジャケットには、リヴァプールファンであるジョンの父親の提案で、同クラブのCFであるアルバート・スタビンズが、唯一のサッカー選手として登場している。また、1970年のアルバム『レット・イット・ビー』収録の『ディグ・イット』という曲では、ジョンがマット・バスビーの名前を叫んでいるのは有名な話だ。マンチェスター・ユナイテッドの名指揮官として知られるバスビーだが、現役時代はリヴァプールで活躍している。

『サージェント・ペッパーズ〜』のジャケット撮影の様子。メンバーとジャケットデザイナー夫婦らが選んだ、58名の著名人の衝立を後ろに並べておこなわれた。エバトニアンであるポールは、著名人の中にエバートンで活躍したディキシー・ディーンを入れようとしたが却下されている。

リヴァプールといえば、リンゴ・スター加入以前のドラマーであり、レコードデビュー直前に脱退した“幻のビートルズメンバー”ピート・ベストの話も忘れてはいけない。ハンブルグ時代、たびたびメンバーとサッカーをして楽しんでいたと語っていたピートは、ジョンの隠れリヴァプールファンであったという“告白”を聞いているという。

俺たちが上手くなかったというのもあるけど、ジョンはテクニックのある奴だったね。ある日、アイツはリヴァプールでプレーすることに憧れてた、と言ってきたことがあったよ。まぁ、俺はグディソンパークの方が好みだけどな。

『infobae』2019年3月24日記事より

いずれにせよ、ジョンが真実を語らないまま凶弾によって亡くなった今となっては、真相は謎のままとなっている。

サッカーを楽しむザ・ビートルズのメンバーたち。ポールは父親の影響でエバートンのファン、リンゴは叔父の影響でアーセナル好き。サッカーに無関心と言われているジョージは、「リヴァプールには3つクラブがあるんだけど、僕は赤でも青でもないところが好きだね。」と語っていることから、英4部のトランメア・ローバーズのファンという噂も。
ラシンではなく、本当はラヌースファン??と、思いきや、ユニフォームを手にして写真に映るのは、アルゼンチン在住のジョン・レノンのそっくりさん、ハビエル・パリシ。なお、彼自身は正真正銘のラヌースのインチャだ。

と、ここまで書いてきたが、実際にジョンが愛したクラブはどこか、ラシンファンからすれば大した問題ではない。彼らは『アルゼンチン初の世界チャンピオン』に並ぶ新たな勲章を手にして、ライバルたちに向け胸を張るはずだ。たとえ一瞬だとしても、ラシンが『ジョン・レノンが愛したクラブ』であったことは事実なのだから。

投稿者プロフィール

KATSUDON
KATSUDONLADS FOOTBALL編集長
音楽好きでサッカー好き。国内はJ1から地域リーグ、海外はセリエAにブンデスリーガと、プロアマ問わず熱狂があれば、あらゆる試合が楽しめるお気楽人間。ピッチ上のプレーはもちろん、ゴール裏の様子もかなり気になるオタク気質。好きな選手はネドヴェド。
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