オリンピコでのホームゲームでおなじみ、ラツィオ専属の鷹匠であるフアン・ベルナベが、ファンに向け笑顔でファシズム式敬礼したことで停職処分となった翌週のこと。とあるプリマベーラ(U-19)の選手がトップチーム昇格を果たしたことで大きな話題となった。その選手とは、2021年3月にクラブと3年のプロ契約を結んだばかりの18歳、ロマーノ・フロリアーニ・ムッソリーニ。ファシスト党の党首でありイタリアの独裁者、あのムッソリーニのひ孫なのだ。

ラツィオの練習場に程近い、ローマのセントジョージズ・ブリティッシュ・インターナショナル・スクールを卒業したばかりのロマーノ。2003年生まれ、18歳(※本原稿執筆当時)の右サイドバックは、188cmの長身を活かしセンターバックとしてもプレーすることができるという。元々ラツィオの最大のライバルであるローマの下部組織でサッカー選手としてのキャリアをスタートさせたが、13歳の時にラツィオのユースチームに籍を移してからは、彼の心はジャッロロッソ(黄・赤)からすっかりビアンコセレスティ(白・水色)に染まっていった。
プロ契約を勝ち取った際には、ESPNの取材に対し「初めてのプロ契約をラツィオと結べたこと、さらに3年このユニフォームを着ることができるのは、本当に嬉しい。」と、初々しく語ったロマーノ。2021年10月24日でのリーグ戦、エラス・ヴェローナとの試合では出場は叶わなかったものの、初のベンチメンバー入りを果たしている。下部組織出身の期待の若手、そしてイケメン。だが世間の注目は言わずもがな、彼の血統に他ならない。

彼の曽祖父は、“ヒトラーに影響を与えた”イタリアの独裁者、ベニート・ムッソリーニ。第一次大戦後の経済の混乱の中、絶大な指導力と巧みな演説でイタリア人の心を掴み、ファシスト党を率いた人物だ。ローマ帝国復活を掲げた国家主義者は1945年に銃殺されるまで、20年間もの長きにわたり権力の頂点に君臨していた。また彼の母親はムッソリーニの孫にあたるアレサンドラ・ムッソリーニで、大女優ソフィア・ローレンの姪であり、自身も女優として活躍後に政界へ進出。かつてミランの元オーナー、シルヴィオ・ベルルスコーニが立ち上げた中道右派“フォルツァ・イタリア党”の所属議員として国政を担っていたこともある。いまや政界の名家とも言える存在だ。
こうしたムッソリーニの血筋ばかりがフォーカスされる状況に、ロマーノは「ラツィオではムッソリーニの名前でなく、プレー内容で評価されています。」(※伊メディア『Il Messaggero』より)と反論。ユースチームのコーチ、マウロ・ビアンケッシも「私は彼の両親に会ったことがない。名前は関係ないよ。ロマーノは非常に知的で謙虚。2年間で1分も出場しなかったとしても文句を言わない努力家だ。まだまだ成長する余地がある。」と、あくまでもプレー面での評価を強調する。それでもなお、彼が奇異な目で見られるのは間違いない。なぜなら、イタリアにはファンと極右思想と強く結びついているクラブが多く見られるが、(インテルや前述のエラス・ヴェローナも、その代表格と言える)中でも彼が所属しているチームはとびっきり。“ムッソリーニのお気に入り”、それがラツィオというクラブなのだ。


ナチスドイツよりも先に“スポーツの政治的利用”を思いついたのは、いかにもスポーツ好きでサッカー好きの独裁者らしい発想だと言えるだろう。ムッソリーニは1934年に第2回W杯大会を、1940年にはオリンピックを招致(※結果、五輪は同盟国である日本に譲り、第二次大戦の勃発のために中止となっている)、その際に数多くの近代化したスタジアムを建設した。ラツィオのホーム、オリンピコもそのひとつ。当時、大理石をふんだんに使用した首都の巨大スタジアム建設は、その後の独裁者たちによる権力誇示の先駆けとなった。大戦が終わり、独裁者が処刑された後も、この地のファシズム愛は色あせることはなく、右派政党の党員がスカウトの場として頻繁にスタジアムを利用していたという。

80年代に入ると、徐々にセリエAへ外国人選手が流入。イタリア人選手がベンチに追いやられるようになると、ラツィオのゴール裏には“外国人排斥”と“人種差別”的傾向が強くなっていく。1992年、オランダ人MFのアーロン・ヴィンターが首都クラブとサインした時、ファンから彼に贈られたのは歓迎の言葉ではなく、罵りばかりだった。ラツィオのトレーニング場の周辺には「冬には出て行け」と落書きされ、スタジアムでは「ユダヤの黒人め」といったチャントが歌われていたという。実際、彼のルーツにユダヤは関係ないのだが、チームを離れてから数年ののち『Corriere della Sera』にヴィンターは、在籍時に「自分のルーツを否定しろというアドバイスを受けた」と発言している。
最近では、マウリツィオ・サッリ監督の愛弟子もまた攻撃対象となった。ナポリからやって来たエルセイド・ヒサイは、クラブ主催の歓迎夕食会で『Bella Ciao(さらば恋人よ)』を歌ったことが知られ、ウルトラスの怒りの導火線に火をつけることに。実はこの曲、第二次大戦中にファシスト党に対抗する反政府運動家達が好んで歌った曲だったのだ。結果、コルソ・フランシアの橋の欄干に、ラツィオファンの名ですぐさまバナーが掲げられることとなった。バナーには「ヒサイ、芋虫野郎!ラツィオはファシストだ!」と書かれていた。
繰り返されるファンの暴走に、現在クラブは毅然とした対応をとっているように見える。
2019年、ヨーロッパリーグのレンヌ戦で、ファンがカメラに向かってファシスト式敬礼をしたとして、ラツィオはUEFAから22,000ドル(約250万円)の罰金を課せられた。クラブの会長であるクラウディオ・ロティートはビデオ映像から“犯人”16名を割り出し、それぞれに3試合のスタジアム入場禁止と損害賠償を請求したのだ。セリエAでは珍しいクラブ側の強硬な態度に対し賞賛する声が上がる一方、「法的な強制力がない請求では、支払い拒否をするのでは?」といった意見や、「たった3試合の出禁で意味があるのか?」という疑問の声も多い。また、あえて個人をあぶり出したことで、ウルトラスという集団からの報復を避けたのでは、という指摘もある。

ロマーノという名は彼の祖父、ムッソリーニの息子であった著名なジャズピアニストと同じである。独学でジャズを学んだ祖父は、音楽だけでなく画家としても数々の作品を残し、生涯政争とは無縁だったという。祖父同様、ロマーノもまたメディアの取材に「政治に興味はありません」と断言。これからという時に、しかも身内である所属チームのファンの暴走に巻き込まれたくないというのが本心だろう。今後もロマーノが、余計な雑音に振り回されることがないことを祈りたいものだ。
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