「人間の形をしたニトログリセリン」。騒動の翌日、英ガーディアン紙は気性の荒い加害者をこのように評した。1995年1月25日、フットボール史に残る有名な“ひと蹴り”。そのきっかけは気難しいフランス人の、いつもの癇癪だったかもしれない。だが大きな影響力を持つ者の行動が得てしてそうであるように、カンフーキックが後の世に新たな意味を付与されることとなる。今回はこの事件を振り返りながら、人々に与えた影響を紹介していく。
現場はクリスタル・パレスのホームスタジアム、セルハースト・パーク。相手DFリチャード・ショウへの報復行為により退場処分を受けたマンチェスター・ユナイテッドのエリック・カントナは、彼に卑猥なジェスチャーと罵声を浴びせるためにわざわざピッチサイドまで降りてきたパレスのファン、マシュー・シモンズへ飛び蹴りし殴打した。この暴行事件こそがみなさんご存知、世にいう“カンフーキック事件”である。

フットボール史に残るこの暴挙、ガーディアン紙で活躍したジャーナリストで今は亡きデイビット・レイシーは「ユナイテッドはカントナを売るべき」と提言し、元イングランド代表FWで解説者のゲーリー・リネカーは「エリック、男になれ。みんなに謝罪をするんだ」と諭した。また当時のFAの最高責任者でもあるグラハム・ケリーにいたっては、「我々の試合についた汚れ」と吐き捨てた。(※余談だが、直後の記者会見でも一切の謝罪をしなかったカントナが、会見最後に語った「カモメがトロール船を追いかけるのは、イワシを海に放るとわかっているからだ。どうもありがとう。」というマスコミへのこれ以上ない皮肉を込めた名言はこの時生まれている。)
ユナイテッドはFAに先んじて、カントナの以降のシーズン全試合出場停止などの処分を発表したが、それだけでは不十分と判断したFAにより、最終的に9ヶ月の出場停止(非公開の練習試合ですら禁止されていた)と2万ポンドの罰金を言い渡した。暴行罪に関しても、その後にカントナ側の上訴により120時間の社会奉仕活動へ減刑されたものの、禁固2週間の有罪判決が下された。なおこのシーズン、カントナを失ったユナイテッドはリーグ3連覇の夢をブラックバーン・ローヴァーズに阻まれ、一方のクリスタル・パレスは最終節で2部への降格が決まった。

普通に考えれば、これまで多くの罰金と出場停止の処分を受けてきたカントナのキャリアが、セルハースト・パークで潰えたとしても不思議ではない。このカンフーキックもまた、フットボール史上最悪の暴行事件として語られて当然だ。それでも現在に至るまで彼がみんなのキングであり続けているのは、この当時にSNSが存在していなかったことと、事件の発端となったパレスのファンが単なる被害者ではなかったという“幸運”に尽きるだろう。
マシュー・シモンズは当初カントナに対し、「“出ていけカントナ、さっさとシャワー浴びて帰れ!”と言った」と語っていたが、のちに周囲の観客の証言により「フランスのクソ野郎、さっさとフランスに帰れ!」などと叫んでいたことが判明。差別的行為があったと認定され7日間の拘留という有罪判決を受けることとなった。(結果として彼は翌日釈放となったが、判事の前で「誓って俺は無実だ!こんなのは無理矢理だ!お前らはクズだ!」と吠えていたという)また彼が17歳の時に大きなレンチを持ってガソリンスタンドを襲撃し、スリランカ人店員を殴打するという強盗未遂事件を起こしていたことがタブロイド紙によって暴かれた。さらに移民排斥や白人至上主義を唱えるイギリス国民党(BNP)やイギリス国民戦線といった極右政党の支持者で、これら政党の集会に出かけていた事実も明らかになると、シモンズはフーリガンとして見なされて1年間のスタジアム出入り禁止を言い渡されることとなった。
こうした一連の報道も手伝ってか、フットボール史上最大の汚点であった「気難しいフランス人の癇癪」は、「悪しきフーリガンを文字通り蹴り出した」象徴へ。偉大な男、エリック・カントナのキャリアを語る上で欠かせないハイライトのひとつになっていった。またあまりに衝撃的であるがゆえに、蹴った姿がポップアイコンとして広く認知されるようになり、音楽やファッションなど様々なカルチャーのモチーフとして影響を与えるようになった。



そして、以前弊サイトで紹介したマラドーナとカニーヒアとのキスシーン(単なるゴールセレブレーションのひとつに過ぎなかった)と同様、カンフーキックもまたカントナ本人が意図しない場所で別の意味合いが付与される。シモンズが人種差別主義に傾倒していたという事実から由来する、カントナ=反差別・反ファシズムとしての意味合いだ。そのため世界中のANTIFA組織を中心に、背番号7の姿が抗議や抵抗の象徴として用いられている。
例えばスロバキアのフットボールフェスティバル『United Colours Of Football』(UCOF)。これはアマチュアサッカートーナメントを軸とした、2011年から始まった反人種差別をモットーとしたサッカーイベントである。第二次世界大戦におけるヨーロッパ戦線の終戦記念日に毎年おこなわれるこのイベントは、試合以外にもライブやディスカッション、展示会、ワークショップなど、サッカーファンに限らず多くの参加者を満足させる大会となっている。その中で販売されているビール『CANTONA KICK』は、その名の通りUCOFのテーマ“反ファシズム”を体現する開始当初からの看板商品だ。名前だけでなく、ラベルにもカンフーキックが引用されている。

またサッカーと離れた政治活動でも。「労働者階級の利益を守る」ことを重要視し、極右勢力に対する抗議だけでなく社会的・政治的・経済的な不平等と戦う、としているのがイギリスのリーズを中心に活動する市民団体『Leeds Antifascist Network』(LAFN)。どの政党にも属していない彼らは、自らの主張のみならず対抗する右翼団体への抗議デモにおいても、カントナのバナーを使用している。他にもドイツやギリシャなど、政治的な発言や行動が目立つウルトラスを抱える地域では、街中の落書きやストリートアート、ステッカーなどにカンフーキックの姿だけでなくカントナ自身の姿が多く見受けられる。



多くのサッカーファンやメディアによって、あたかも「“エリック・カントナ”デー」のように毎年1月25日になると振り返られる“セルハースト・パークでのひと蹴り”。新たな解釈により評価が高まったとはいえ、この事件をきっかけに代表キャプテンの座を剥奪され、結果としてジネディーヌ・ジダンを中心とした世代交代が進んだことで、自身のレ・ブルーへの道が絶たれたことを考えると、カントナ本人にとっては決して美しい過去とは言えないだろう。それでも彼の愚行がフットボール史において彼の選手としての価値をさらに輝かせたことは、非常に皮肉でありフットボールが生んだ不思議としか言えない。
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