2022年2月25日、ゴール裏に陣取るレギア・ワルシャワのウルトラスから、こんなチャントが飛び出した。「RUSKA KURWA!AE, AE, AO!!(ルスカ・クルワ=ロシアの売春婦)」。この下品な言葉の連呼が、前日にウクライナへ侵攻を開始したロシアに対する強い抗議、そして友好国であり隣国のウクライナに向けた支持の表明であることは明らかだった。キックオフ直前に始まったこのチャントは、対戦相手であるヴィスワ・クラクフのサポーターをも巻きこんで、スタジアム全体は放送禁止用語の大合唱となった。
この夜のレギアのホーム、スタディオン・ヴォイスカ・ポルスキエゴの様子が地元メディアによって伝えられると、翌日の試合ではピアスト・グリヴィツェやグールニク・ザブジェ、ポゴニ・シュチェチンといったポーランド国内のクラブのウルトラスらも同調。各会場で敵味方問わず「ルスカ・クルワ」のシュプレヒコールがあがった。
さてここで注目したいのは、彼らレギアファンのチャントだけではない。彼らが同時にゴール裏から掲げたバナーの言葉こそ、このエピソードにおける重要なキーワードなのである。(ちなみに本稿では下品なワードが繰り返し登場することを先に謝罪しておきたい。)
バナーには「PUTIN CHUJ(プーチン・フーイ)」の文字。ポーランド語で「プーチンのチ◯コ野郎」と、大きくハッキリと書かれていた。日本人には単なる幼稚な下ネタにしか感じないかもしれないが、実は「男性器の名称を用いることで相手を下品に貶める」という、かなりの侮辱的行為である。

独裁政治でロシアを統治する、ウラジーミル・プーチン大統領への悪口「プーチンのチ◯コ野郎」は、ロシア国内はもちろん、ポーランド、スロバキア、ベラルーシなどの近隣諸国では定番の悪口として使われている。インターネットの書き込み、路地裏の壁の落書きなどで良く見かけることができるこのフレーズ、フットボールファンはチャントにのせて超大国の支配者を小バカにしている。

「プーチンのチ◯コ野郎」という罵倒の決まり文句は、いま世界が行く末を注視する国・ウクライナで誕生した。この国のウルトラスは、その多くが極右のネオナチ組織と化しており非常に凶暴なフーリガンたちで構成されている。互いに激しすぎるライバル意識を持っており、それによって生まれる抗争は絶えることはない。さらにいがみ合いはディナモ・キーウを中心としたウクライナ中部の首都キーウ派と、シャフタール・ドネツィクを中心とした東部のドネツィク派とのウクライナサッカー界の派閥争いにも利用され、政財界にも及ぶこうした対立の影響は社会に混乱を生む要因となっていた。
東部の都市ハルキウを本拠とするヨーロッパリーグの常連、メタリスト・ハルキウのウルトラスもまた例にもれず、事あるごとに他クラブのウルトラスと激しい戦いを繰り返しており、特にディナモとの争いは語り草になるほどの“因縁の間柄”であった。また長年ディナモのオーナーであるスルキス兄弟の兄・フリホリーがウクライナサッカー連盟会長を兼務しており、前述の経緯からメタリストのオーナーとの間には大きな確執があった。そこでメタリストのウルトラスは、キーウ派のリーダーとも言えるスキルス会長を罵倒するため、「スルキス・フイロ(※フイロ=ウクライナ語・ロシア語・ベラルーシ語における「チ◯コ野郎」の意)」と歌い始めるようになった。これが「プーチンのチ◯コ野郎」の原点、と呼べるものである。

ライバルグループ同士が顔を合わせば殴り合うような、殺伐としたウクライナサッカー界だったが、様子が一変したのは2013年のこと。のちに当時の親ロシアの政府を転覆させた市民革命に、フーリガンたちが反政府デモ側として参加したのだ。ウクライナの独自性を尊重し、ロシアの影響下から脱することを主張したデモ隊に、極右ウルトラスたちのナショナリズムが共感したからなのか。それとも血の気の多い者たちが、堂々と暴れる口実を見つけたからなのか。真実はわからないが、彼らはデモ隊のボディーガードや食料調達などを買って出るようになる。そして、騒乱が紛争へと激化していくと彼らは銃を取り、主な戦場である東部へと向かっていった。

さらに2014年2月、ほぼ全てのウクライナ国内のウルトラスグループが“停戦”を宣言する。グループ間での暴力行為や侮辱行為などを一切禁止し、ウクライナのための団結を訴えたのである。ロシア系住民の多い東部のクラブでは一部サポーター内での分裂も見られたものの、この大連合にライバル関係にあったディナモとシャフタールが行動を共にするだけでなく、思想的に決して相容れないはずだった左翼のアルセナル・キーウのウルトラスでさえ参加を表明したことは、普段ウルトラスを忌み嫌っていた人々から驚きとともに歓迎された。
「Putin-huylo ! La La La La La La La La !!」
プーチンチャントが誕生したのは、こうした全国連合が締結された直後となる2014年3月のことだ。チャントを叫びながら行進する様子はYouTubeにアップされたことで、ウクライナ中のサッカーファンに拡散。革命による新政権を認めないロシアがクリミア半島、そして東部ドンバス地方での紛争に介入するようになると、彼らの団結はさらに強まり、プーチンチャントは反ロシアを示す象徴的なスローガンになっていったのである。
プーチンチャントの影響力はウクライナのみに留まらない。ジョージアはウクライナより以前、2008年にロシアからの侵攻を受けた苦い経験を持っている。旧ソ連の構成国だったモルドバは、隣国ウクライナとの国境沿いに親ロシア派による非承認国家があることからロシア軍が長年駐留しており、「ウクライナの次は我々」と警戒している。こうした国々では嫌ロシアの考えが強く、多くのスタジアムでプーチンチャントが歌われている。
最も話題になったのはEURO2016予選、ベラルーシvsウクライナでのひとコマ。ベラルーシのルカシェンコ大統領はロシアと共同歩調をとっており、今回の侵攻においてもロシア軍の手助けをしている。だが実際のところ、国民感情としてはウクライナ寄りの姿勢が多く、この試合でも0-2で敗れてしまったものの、スタジアムは「プーチン・フイロ」の大合唱で友好的な雰囲気に包まれていたという。ただし試合後には100人以上のウクライナ人、30人以上のベラルーシ人のサポーターが、それぞれ『卑猥な言葉を発した』としてKGBに連行されているのだが。
プーチン大統領はウクライナ侵攻の理由として、ウクライナのネオナチ打倒を掲げている。その一方で、かつては互いに憎しみの刃を向けていた極右ウルトラスが、ロシアという共通の敵の前に団結を深め、人々の支持を集めていく結果となったのは冗談のような話だ。街の嫌われ者が、祖国防衛の英雄になるウクライナ。その物語の先に待っているのはハッピーエンドか、さらなる混乱か。一寸先は闇という状況が続く中、今日もどこかのスタジアムで「チ◯コ野郎」の歌が響き渡る。
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