文化・歴史

公式も認める非公式!?ドイツ伝統の“あのベスト”について知っておきたい、いくつかのこと

皆さんは、いたるところにワッペンが縫い付けられた、デニムベスト姿のフットボールファンをご覧になったことがあるだろうか。英語の“Cut Off”=(袖などを)切り落とす、が語源とされているドイツ伝統のサポーターズファッション『Kutte(クッテ)』。1970年代当時、若者の間で流行していたバイク乗りたち特有の文化を、フットボールファンがそのままゴール裏に持ち込んだという、自前のファングッズである。以降、彼らクッテを身にまとう“クッテントレーガー”は、周囲が畏怖の念を抱く存在となった。だが現在、クッテファンはどのスタジアムにおいてもすっかり少数派となってしまい、絶滅寸前にまで追いやられている。

色とりどりのワッペン、その隙間を埋め尽くすピンバッチとスタッズ、そしてバッサリと切られた袖口に縫い付けられたフリンジ。ドイツ伝統のサポーターズファッションであるクッテは、今も昔も硬派で熱狂的なフットボールファンの証である。

試合の時には欠かさず着用するという彼ら自慢の戦闘服は、いずれも10年や20年、年季が入ったものになれば40年というヴィンテージものも存在する。破れれば手縫いで補修し、着れなくなるまでずっと使い続けているという。彼ら古参のファンたちにとっては、自身のサポーターとしての歴史が刻まれた大事な大事な“分身”なのだ。

アイントラハト・フランクフルトのファン自慢のクッテ。汗と涙とビール(たまに尿)まみれになったとしても、彼らはクッテを洗うことを決して良しとしない。酔って吐いて汚したやむを得ない場合にのみ、洗濯機ではなく川の水や海水による手洗いが許されている。(※画像:筆者撮影)
熱烈なフランクフルトファンであるイェンスは、自身の体に愛用のクッテを“再現”した。彼は最愛のクラブの晴れ舞台、2022年ヨーロッパリーグ決勝に間に合わせるために、30時間をかけ急ピッチで仕上げたという。なおタトゥーを入れた理由は、「着なかった試合はなかった」というオリジナルのクッテが「30年物だから破れちまいそう」だったから。(※画像:Bild/Vincenzo Mancuso)

クッテのキモとなるのは、デニムベストに所狭しと縫われた様々なワッペンだ。ワッペンには着用者が所属するファンクラブや忠誠を誓うチームのエンブレムなどのいわゆる“ファンクラブパッチ”、友好関係にあるチームとの友情を示した“フレンドリーパッチ”、そして敵対者への否定的な内容のワッペンである“アンチパッチ”または“ヘイトパッチ”と、大きく分けて3つに分類されている。これらはユニーク、かつレアなものであればあるほどスタジアムでは注目され、ワッペンきっかけで志を同じくする観戦仲間が増える(もしくは離れることもある?)なんてこともあったようだ。

中でもアンチパッチは愛好家に大人気。憎悪の対象はライバルチームや、そのウルトラスだけではなく、「トータルフットボールマーケティング?ノーサンキュー!」といったチームの営業方針に対するものや、ジャッジに対する皮肉「ボールは丸いんだぞ?選手は22人だからな?彼(審判)は何もわかってないんだ!」などなど。それ以外にも「ママが同じ服を着せたから怒ってるのかい?」のような“A.C.A.B”(※“All Cops Are Bastards”というファンお約束のフレーズ)ものや、チケットサイト『Viagogo』に対する批判、司法への不満、時には「ママが縫ってくれました」のような自嘲ものまでと実に多岐にわたっており、よくもまあこれだけ侮辱の言葉が思いつくのかと感心するほどだ。こうしたワッペンは、以前ならスタジアム内で取引されていたというが、現在では愛好家同士の集まりやebayなどネットで購入する形が多いという。

「終わらない友情」と書かれたハンブルガーSVとボルシア・ドルトムントのフレンドリーパッチ。80年代にザンクトパウリのファンに襲われたBVBファンをHSVファンが救った、というエピソードから生まれた友情が元になっている。
ヴェルダー・ブレーメンに対するアンチパッチ。ワッペンには緑色の魚のイラストとともに、「緑色で魚の匂いがするもの、クソったれブレーメン」の文字が。

「1980年頃、クッテは本物のファンの典型的な服装だった。」と語るのは、クラブチームの垣根を超えたクッテ愛好家が集まるグループ、『Kuttenträger mit Tradition(クッテントレーガー・ミット・トラディション)』(以下、KMT)代表のMichael Laumenだ。

1963年のブンデスリーガ創設以降、若者たちは自分たちの居場所とばかりにスタジアムへ集まるようになった。彼らの、より積極的に贔屓チームを応援したいという欲求は、1974年のワールドカップを機に高まる一方であった。だが、当時のチームが用意できたものはせいぜいフラッグくらいで、熱狂的なファンたちの需要とは程遠い。そこで応援グッズを自作することになった当時の若者たちが目をつけたのが、映画『イージーライダー』の大ヒットも手伝い世界的に大流行していた、バイク乗り特有の“革とデニムを使ったファッション”だった。作中の、アウトローでタフでマッチョな雰囲気を醸し出すデニムベストは、まさにサポーターが求めていたもの。彼らはこぞってベスト、もしくはわざわざ袖を切ったジャケットを着てスタジアムへと集まった。60年代から80年代半ばまで、クッテファンたちはドイツのスタジアム応援の中心にあり、クッテは観客と熱狂的ファンを分かつ境界線となったのだ。

「70年代の終わり、(シャルケ04のかつてのホーム、パルクシュタディオンの)ブロック5の4割のファンはクッテを着ていました。当時クルヴェ(ゴール裏)には“クッテン・ボス”というのがいました。今とは全く違い、ホントやりたい放題の時代でしたよ。例えば?彼らがナイフを持ってファンの列を駆け抜け、気にくわないワッペンを切り落としていく…なんてことはよくありましたね。私も2つ、切られたことがありました。」(※シャルケファン Stefan Barta談『VICE』2016年5月13日記事より

「私が初めてクッテを着始めた時、ドルトムントには「Schwarz Gelben Straßenjungs(シュヴァルツ・ゲルブ・シュトラーセンユングス、「黒と黄色のストリートボーイズ」の意。)」と呼ばれるグループがありました。彼らはみな、とんでもないクッテを着ていましたね。当時彼らはホントに危険な集団でしたから、僕らのグループはできるだけ彼らから離れていましたよ。」(※BVBファン Christian Weiss談『VICE』2016年5月24日記事より

現在でもファンの多い、1969年公開の米映画『イージーライダー』。ピーター・フォンダとデニス・ホッパー扮するヒッピーの姿は、ベトナム戦争後の若者文化に広く受け入れられた。その影響はドイツサッカー文化のみならず、ヘビーメタルやパンクといった音楽の世界にも飛び火。そのためにルーツを共にするクッテは、バイカーとロッカー(彼らはバトルジャケットと呼ぶことも)とのファッションとの共通点が多い。
2013年、サポーターから借りたクッテを着てドイツのスポーツ紙『SPORT BILD』の取材に応える、当時バイエルン・ミュンヘン会長だったウリ・へーネス。(※画像:『SPORT BILD』)
1970年代のドイツのフットボールファンの様子。スタジアムは若者たち主体のカウンターカルチャーの只中にあった。

もちろん現在、クッテファンと危険な雰囲気は無縁である。前述のLaumenのKMTは、ドイツ国内で1,000団体あると言われているクッテのファングループの中でも、約1,500人のメンバーを抱える人気団体のひとつ。暴力と差別の禁止を会の不文律としている。またKMTは年に数回、ドイツ全国からクッテ愛好家を集めた『クッテントレフェン』というイベントを開催しており、2022年6月におこなわれた際には国内のクッテファンクラブ30団体から約250人が集まり、ワッペンの交換や近況報告などで交流を深めていた。

「スタジアムではファンは常にバラバラ。でも俺たちは、フットボールを結びつけるものを祝いたいと思っていたんだ。そしてそれは、こういったミーティングでしかできないんじゃないかってね。」(Michael Laumen談『Wa.de』2022年7月31日記事より

「誰もが自分のクラブに忠誠を誓っているが、他クラブのクッテンブルーダー(※クッテを愛する兄弟たち、の意)もフットボールファン。俺たちは情熱を共有しているのさ。」(※ボルシアMGファン Andreas Gabler談『Br.de』2022年6月12日記事より

そこでは普段は犬猿の仲として知られるルール地方のライバル同士ですら、笑顔でビール片手にクッテ談義を楽しんでいるほど、いたって平和的なのだ。

ボルシアMG、シュツットガルト、ダルムシュタット、ディナモ・ドレスデン…。クッテントレフェンに参加したクッテ愛好家たちの応援するクラブは様々。普段はいがみ合うシャルケとドルトムントのファンも、この日ばかりは笑顔で膝をつき合わせた。(※画像:Wa.de/Peter Körtling/Reiner Mroß)
KMTが主催したクッテントレフェンには、この企画の発案者の1人であり、30年以上シャルケの応援を指揮してきたドイツサッカーのレジェンド、“トランペット・ヴィリー”ことヴィルヘルム・プレンカース(画面左・現在は引退している)も登場。参加者を喜ばせた。(※画像:BR/Wolfram Hanke)

これだけ根強いファンを持っている、ドイツサッカー特有のサブカルチャー。だが、現在のスタジアムでは、その姿を見かけるのは残念ながら少数である。

「昔、クッテは決して特別なものではなかった。むしろ持っていなければ、周りからバカにされたものだ。だが、いまやクッテを着ていると、逆に周りからバカにされてしまう。残念だけど、もうクッテは人気じゃないんだ。」(ブレーメンファン Sven Beyer談『Bild』2018年3月13日記事より

その理由は、端的に言えば時代の変化に他ならない。フットボールが最新のトレンドを追いかけるように、スタンドのサポーターの様子もまた変わり続けるものだ。ゴール裏の若者たちはカスタマイズされた一点ものではなく、よりシンプルで均一的なファッションスタイルを好むようになってしまった。

クッテ姿の荒くれ者たちがスタジアムの応援を牽引していたのは80年代半ばまで。彼らの中の小規模な暴力的グループは80年代、イングランドから新たなスタイルであるフーリガン文化と結びつく。ナイロンジャケットやジャージ、またはフレッドペリーやバーバリーのようなブランド(古着を利用する場合も)のシャツ、そこにデニムジーンズにスニーカーというスタイル。いわゆる“カジュアルズ”と呼ばれた英国風ストリートファッションに、ドイツの暴れ足りない若者たちはフーリガンが持つ暴力性(試合よりも乱闘に焦点を当てる向きがあった)もあいまって夢中になっていく。

続く90年代のスタンドには、今度はイタリアからウルトラスの文化が流入。クッテファンとは異なり、彼らはスタジアム外でも組織化を進め、政治的な主張も積極的におこなうようになった。応援も、メガフォンを持った先導者(日本でコールリーダーと呼ばれる人物)の下で90分間飛び跳ね、同じ身振り手振りとともに歌い続ける、視覚的・聴覚的なサポートに重点を置いたスタイルへ変化。黒く染まったクルヴェの姿は、いまやドイツのみならずヨーロッパのスタジアムになくてはならないものとなり、かつて色とりどりのクッテでスタンドを彩っていた古参のファンはすっかり影をひそめてしまったのだ。

1980年代、当時最も熱狂的なサポーターがいたイングランドの影響を受け、ドイツにもフーリガン文化が渡る。ただし、この頃はまだクッテ着用者もゴール裏に多く存在しており、応援の中心にあった。
チームの無残な敗戦に、怒り心頭のニュルンベルクのウルトラス。90年代以降、スタジアムでの応援の中心は長らく彼らであることは揺るぎない事実。そのことは古くからのフットボールファンたちも認めるところだが、一方で「どのゴール裏も黒か灰色で、どこのチームかわからない。」とこぼす。(※画像:SPORT1/Getty Images)

また、時代の変化は、クッテにおける最大の特徴であり魅力・ワッペンそのものにも影響していると思われる。

「昔のようなクールなワッペンは、もうありません。80年代には、愛と想像力を込めて作られた“ワンオフ”がまだありました。スカルやヘビ、ドラゴンが刺繍されているような、そんなオールドスクールのワッペンを見つけた時は、クッテ好きとしては興奮します。ただ残念ですが、今では漫画の奇妙なキャラクターや、馬鹿馬鹿しい言葉が書かれたものしか見つからないんです。」(※前述記事、Christian Weiss談)

クッテ全盛期の1960~70年代は、抑圧されてきた人々が差別からの解放と権利の獲得を声高に訴え始めた、社会の価値観が変わる大きな転換点ともいえる時期でもあった。ハラスメントやジェンダー不平等などの問題が曖昧だった頃は、過激な表現のワッペンもドイツ人が大好きなブラックジョークの範疇で済まされていたのだろう。

「かつてファンブロックには、カギ十字(ハーケンクロイツ)のワッペンも存在していました。今から見ると非常に暴力的ですが、当時はそれが普通だったんです。ですが、1994年以降は人種差別的なワッペンや敵対行為は完全に禁止されています。従わない者はスタジアムから追放される、これはシャルケ独自のものです。私たちはファン主導で外国人排斥などに対し行動を起こしているんです。」(※前述記事、Stefan Barta談)

強烈な煽り文句でフットボールファンには最高のユーモアとして好まれるヘイトパッチだが、SNS時代となった現在では批判の的にされかねない。とくに性器などを用いて女性蔑視を連想させるものや、「◯◯(嫌いなチーム名)の同性愛者、ノーサンキュー!」といったLGBTQ+を差別するようなワッペンは、実際に着用者が差別を意図しなくとも周囲からたびたび問題視される。こうした価値観の変化が、フットボールファンをクッテから遠ざけているのではないだろうか。

バイエルンファンのクッテに縫い付けられた、シャルケへのヘイトパッチ。相手をこき下ろすのに、下ネタは格好の材料。だが、見る者が眉をひそめるようなワッペンは時代にそぐわなくなっており、「クッテファン=暴力的で差別主義者」というレッテルが貼られることも。(※画像:pa/press photo UL/press photo ULMER/Claus Cremer)

それでもクッテ愛好家たちは美しくデザインされたオフィシャルグッズではなく、ドイツ伝統のファンカルチャーの魅力をなんとかして後世に伝えようと努力している。前述のLaumenのKMTが主催するクッテントレフェンから1ヶ月後、キャンプ場で開催されたクッテファンを集めたイベントでは、新たに6名の“信者”が加入した。そのうちの1人は13歳だという。

「いまの若いファンの多くは黒いシャツを着て、それぞれが独自のファッションでクラブへの愛情を表現している。そんな現在だからこそ俺たちは、若いファンにもう1度クッテに興味を持ってもらいたいと思ってるんだ。」(※Michael Laumen談『Br.de』2022年6月12日記事より

「古さくてダサい。でも、なんかカッコいい。」シンプルでスタイリッシュとは程遠い、現代にはないオールドスタイルが再び若者たちに注目される日を夢見て、クッテントレーガーたちの地道ではあるが確実な布教は続けられている。

ボルシア・ドルトムントのファンクラブ、『Rhein-Ahr-Borussen(ライン・アール・ボルセン)』初代会長ティリと彼の息子のクッテ。残念ながら現在のジグナル・イドゥナ・パルク南スタンドでは、すっかり見かけることが少なくなった“クッテントレーガー”だが、伝統は次の世代へ間違いなく受け継がれている。(※画像:schwatzgelb-de)

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KATSUDON
KATSUDONLADS FOOTBALL編集長
音楽好きでサッカー好き。国内はJ1から地域リーグ、海外はセリエAにブンデスリーガと、プロアマ問わず熱狂があれば、あらゆる試合が楽しめるお気楽人間。ピッチ上のプレーはもちろん、ゴール裏の様子もかなり気になるオタク気質。好きな選手はネドヴェド。
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