以前の記事で、ブライトンとクリスタルパレスの長い時間をかけて熟成された因縁をご紹介した。日頃から切磋琢磨しあうライバル関係は、フットボールが競技である以上はなくてはならないこと。だが一方で、同じくらいに互いをリスペクトし、ファン・クラブぐるみで友好な関係を結ぶ“逆のパターン”も実は少なくない。アーセナルとスパルタ・プラハ、アスレティック・ビルバオとサウサンプトン、ユベントスとノッツ・カウンティ、などなど。そのきっかけは実に様々で、ファンの交流から生まれることもあれば、クラブの成り立ちに関わるもの、イデオロギーの合致や、フットボールおなじみの“敵の敵は味方”理論が当てはまる場合も。では、今回ご紹介するイタリアとアルゼンチンの港町のクラブ、両者の場合は…。
もしかすると、違いが憎しみあうダービーマッチの関係よりも、友好関係が生まれるきっかけの方が多種多様なのかもしれない。例えばチェルシーには、初代監督ジョン・テイト・ロバートソンが初めての1stユニフォームに、以前自身が在籍していたグラスゴー・レンジャーズの古いシャツを採用したことでスコットランドのチームとの縁が始まった、なんて話がある。また、同じプレミアリーグで言えば、トッテナム・ホットスパーは同じ“ユダヤ人のクラブ”を自認するクラブという理由から、“Super Jews”アヤックスと友好関係を結んでいる。
その他にもパルチザン・ベオグラードとPAOKの様な「両者の仲の良さは非常に有名なのにも関わらず、なぜか理由だけがハッキリしない」という不思議な間柄もあれば、『スペルガの悲劇』から生まれたトリノとフィオレンティーナの友情や、ヒルズボロにまつわるリヴァプールとボルシア・メンヘングラートバッハの交流、近年ではシャペコエンセとアトレティコ・ナシオナルとの関係など、(いずれも非常に悲しい出来事なので、喜ばしいきっかけではないのだが)クラブの危機的状況を救ってくれた、もしくは手助けをしてくれたことによって生まれる友情も存在する。

では、ボカ・ジュニアーズ(以下、ボカ)と、大西洋を挟んだイタリアの港町・ジェノバとの絆はどうかというと、前述のクラブたちとは様子がかなり異なる。そもそもの話、ボカが他チームと友好関係を結ぶことを良しとしないフシがあるからだ。その証拠に、彼らボカのファン…ボケンセたちは『Nunca hicimos amistades』というチャントでこう歌っている。
“Nunca hicimos amistades, nunca la vamos a hacer.”
俺たちは友達なんか作ったことはないし、これからも絶対作らない。
“Amistades hacen los putos. Que no paran de correr.”
友情なんて、◯◯野郎しか生まないんだ。だから俺たちは走るのを止めない。
徒党を組まないことは彼らの勲章であり、クラブのアイデンティティでもある。なぜなら(多かれ少なかれ、世界中のあらゆるフットボールファンはそう考えているに違いないことだが)ボカを愛する“信者たち”にとって、ボカは神以外では最も偉大な存在であり、ボカと並ぶものは存在しない。故に友人などボカに必要ないと感じている。
にもかかわらず、ボカ自ら“Los Xeneizes”(ロス・セネイセス=“ジェノバ人”)を名乗り、ジェノバの2クラブのことを(フットボール史の最初期から存在するジェノアは特に)“双子のクラブ”と呼ぶ。そして、ジェノバ人たちもまた、ボカを“ジェノバの3つ目のクラブ”であるという認識を持ち続けている。さらには決して多くはないとはいえルイジ・フェラーリスでも、そしてラ・ボンボネーラでも、互いのチームのフラッグがはためいていることもあるほど。群れないはずのボカ、彼らジェノバだけは例外なのだ。なぜ“セネイセス”だけ特別なのか。
この謎を解く重要な手がかりは、実は日本のアニメーションにある。イタリア・ジェノバとアルゼンチン・ブエノスアイレス…この2つの地名を聞いて、日本人なら(おそらく50代以上であれば)きっと思い浮かべてしまうであろう不朽の名作、『母をたずねて三千里』。ご存知、わずか10歳(※原作小説では13歳)の男の子、マルコ・ロッシが音信不通となった出稼ぎ中の母親を探すために、単身ジェノバからアルゼンチンへ渡るという感動の物語である。と、同時にイタリア人、特に“ジェノバ人”の気質が存分に盛り込まれた作品でもあるのだ。


「(※所持金を盗まれたマルコに)そういう相談なら、ジェノバ人がゴロゴロしているボーカの街か、移民局へ行ってみるこった。そうそう、ボーカか移民局!」(※アニメ『母をたずねて三千里』第23話“もうひとりのおかあさん”)
「(※母親の勤め先がコルドバへ移ったと聞き、途方にくれるマルコに)いいかい、イタリアのぼうや、この手紙をもって、ボカにいくんだ。住んでいる人の半分はジェノヴァから来た人たちだから。」(※岩波書店刊『クオーレ』和田忠彦 訳)
日本でも県民性を扱ったジョークは多々あるが、イタリアでもジェノバがあるリグリア州の人々を指し、「ケチでグチっぽく不愛想、気位が高くて閉鎖的」と笑い、ネタにする。だが同時に歴史家などは、彼らが代々「非常に粘り強く、勇気があり、フロンティア・スピリットと郷土愛が強く、団結力がある」人々であると評している。
いつも頑固でグチっぽく、一見すればワガママにも見えてしまうマルコ(とはいっても、10歳の子に大人のように振る舞えというのは無理な話なのだが)のふるまいは、まさにジェノバ人のソレ。放送当初から「主人公っぽくない」という批判の声があがっていたというが、文句は言いつつも決して諦めない姿勢にはやはり多くの視聴者の心を打つものであり、一説では母親との再会までに2~3年はかかったと言われる、片道“三千里”(※約12,000km)という過酷な旅の主人公にふさわしいキャラクター像と言えよう。彼の一見すると向こう見ずな部分も、同郷の先人たち…マルコ・ポーロやコロンブスといった偉大な冒険家たちと相通ずる、のかもしれない。

そして、行く先々で困難に直面するマルコの大きな手助けとなったのもまた、団結を重んじるジェノバ人の気質によるものだ。スリに所持金を奪われたマルコをバイアブランカまで連れて行ってくれたベッピーノ一座も、同郷と知るや手のひらを返すように親切にしてくれた酔いどれ船長も、ロサリオの街で路頭に迷っている最中に食堂“イタリアの星”で旅費のカンパを呼びかけてくれたのも、みなジェノバ出身の人間たちだ。
この作品の元となった『クオーレ』の原作者デ・アミーチス自身も、ジェノバがあるイタリア北西部、リグリア地方出身者である。愛国心と道徳心がテーマの『クオーレ』は子供達の教育にも適しているとして、当時の大ベストセラーとなっている。もちろん物語から登場人物まで全てフィクションではあるものの、作者が育ったリグリア特有の地方性が作品に少なからず影響していた可能性は否定できないのだ。


過去にはフェルナンド・フォルスティエリ(※現在はマレーシアのジョホール・ダルル・タクジム所属)の移籍問題などでギクシャクすることもあったボカとジェノアだが、少なくともファン同士においてはおおむね良好な兄弟関係が続いていると言えよう。(※ボカはサンプドリアに対しても良好な関係を結んでいるが、最古参クラブでほぼ同時期に設立されたジェノアの方により強いつながりを感じているようだ。)
ジェノアのウルトラス『Gradinata Nord』とボカの『La 12』は今も提携関係にある。また、ブエノスアイレスにはファンクラブ『ジェノア・クラブ・ラ・ボカ』、ジェノバには『フォルツァ・ボカ』が設立されており、彼らメンバーは時おり互いのスタジアムを訪れては、兄弟クラブに声援を送っている。大西洋を挟んだ同胞の絆は今後も途切れることはない。


余談ではあるが、ボカとジェノバとの強い絆に異論を唱える者がいることを、皆さんご存知だろうか。ボカにとっては忌むべき存在であり、ボカよりも4年早くラ・ボカで産声をあげた“認めたくない兄貴”、リバープレートのことだ。
確かにボケンセやジェノバの人々(特にジェノアファン)ほど、この話題にリーベルファンが触れることはない。関係に嫉妬する者など、ほぼ皆無に違いない。実際にリーベルは1923年に本拠を移転しており、今やラ・ボカのクラブと言えば、誰もがボカ・ジュニアーズを思い出すことだろう。それでも、である。イタリア最大の一般紙『ラ・レプッブリカ(La Repubblica)』にはリーベルを愛する、あるインチャ(※熱狂的ファンの意)のこんなコメントが掲載されている。
「俺たちの、フットボールと情熱のルーツはジェノバなのさ。なのに、だよ。イタリアで最も古く、最も輝かしく、ポルテーニョ(※ブエノスアイレスっ子のこと)の半分がルーツである街のチームが、なんでロス・ミジョナリオス(※リバープレートの異名で、“億万長者”の意)と友情関係を結ぼうとしないのかね?俺たちはリバープレート…ブエノスアイレスで最も古く、最も輝かしい存在なんだぜ。」
頑固で愚痴っぽくて気位が高い。彼らリーベルもまた、間違いなく“セネイセス”なのである。

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