AFCアジア・チャンピオンズリーグでもおなじみ、アル・ヒラルやアル・イテハドなどアジアトップクラスの強豪クラブを排出するサウジアラビア・プロフェッショナルリーグ。(以降、SPL)2022年末にマンチェスター・ユナイテッドからアル・ナスルへとやって来たクリスティアーノ・ロナウドを呼び水に、潤沢なオイルマネーをバックにした前代未聞の札束攻勢によって、欧州のビッグネームが軒並み中東へと集まった。今やサウジは誰もが認める今夏の移籍市場の主役である。サウジで生まれようとしているスーパーリーグ、その背景と問題点、そして今回の爆買いが10年前の中国の失敗をなぞるものなのか、改めて考えてみよう。
カリム・ベンゼマやエンゴロ・カンテ(共にアル・イテハド)、カリドゥ・クレバリにセルゲイ・ミリンコビッチ=サビッチ(アル・ヒラル)、ロベルト・フィルミーノ(アル・アハリ)と、連日華々しい名前ばかりが聞こえてくるのがサウジの移籍関連のニュースだ。アル・ナスルの最大のライバルであるアル・ヒラルがリオネル・メッシ(インテル・マイアミ)を獲得できなかったのは、クラブにとってもSPLにとっても大きな誤算だったとしても、今のところ彼がMLSを選んだことがかすんでしまうようなビッグディールが続いている。
ターゲットはスター選手に限らない。アル・イテファクは新監督として、レスター・シティやリーズ・ユナイテッド行きの噂があったスティーブン・ジェラードの招聘に成功した。すでにサウジでは、バレンシアやウォルバーハンプトンを率いていたヌーノ・エスピリト・サント(アル・イテハド)、ベンフィカで活躍したジョルジェ・サントス(アル・ヒラル)といった外国人指揮官がチームを率いており、特にサントスはサウジアラビア代表監督就任目前と言われていた中での電撃決定となった。その他にもアル・アハリがディエゴ・シメオネ(アトレティコ・マドリード)の引き抜きを画策しているというニュースや、実現の可能性はかなり低いとしつつも「昨季限りで勇退したマテウ・ラオス元主審に対し、SPLのレフェリングだけでなく協会の審判育成機関の責任者就任というオファーを持ちかけた」と報じるスペインメディアもあった。話の真贋はともかくとして、サウジは自国サッカーの何もかもを短期間で作り変えようとしているのは事実だ。

発端は2023年6月5日、サウジ当局がスポーツ省管轄下の国営フットボールクラブ…2022-23シーズンのリーグ覇者アル・イテハド、2023-24シーズンから1部復帰の名門アル・アハリ、そして首都リヤドに居を構える国内最多優勝を誇るアル・ヒラルと、ヒラルのライバルで彼らに次ぐ優勝回数を誇るアル・ナスル、これら4クラブを民営化すると発表したことだった。民営化にともない、4クラブの株式の75%は“MbS”ことムハンマド・ビン・サルマン皇太子が指揮するサウジの政府系投資会社『パブリック・インベストメント・ファンド(PIF)』が握ることになった。中東や北アフリカなどでインフラや不動産、食品や農業に製造業と幅広い分野での投資で知られる同ファンドだが、他にも『LIVゴルフ』と世界的に有名なゴルフツアー『PGAツアー』との統合騒動や、アニメやゲームなどエンタメ業界への積極的参入(※皇太子は日本のゲームやアニメ好きで有名)、そしてもちろんUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得するまでに復活を果たした、ご存知ニューカッスル・ユナイテッドの買収にも大きく関与している。

国営サウジ通信は今回4クラブの民営化に踏み切ったことについて、3つのメリットをもたらすと評価している。第一にサウジのスポーツ界に対し、滞っていた海外からの投資の道筋を明らかにすること。第二に、各クラブのガバナンスを改善することにより、さらにプロフェッショナルかつ持続可能なものになること。そして最後に、クラブのインフラが改善されることでピッチ上での競争力をさらに高められる、というのだ。スポーツと地政学経済を研究し、早稲田大学などで教鞭をとっていたサイモン・チャドウィック教授は、『アルジャジーラ』の取材に「フットボールクラブに対する国家の関与は大きく、特に債務の帳消しに関しては2022年の時点で最も顕著だった。だが彼らは現在、国家に依存する組織から、より目的を持った戦略的かつビジネスライクな組織へと文化的に変革しようとしている。」と分析。さらにプレミアリーグのクラブと同様、将来的にサウジのクラブがアメリカや世界中からの投資を集めるには、更に商業的な魅力を高める必要性を述べている。そういう意味では、やや強引にも見える爆買いも理にかなっていると言えよう。

ちなみにC・ロナウド移籍を契機に数十もの海外放送契約を結ぶことになったというSPLだが、観客動員は前年比で150%と爆増。それに比例して現在リーグの市場価値は18億リヤル(約681億9,700万円 ※2022年時点)にまで達している。(※参考: 2023年時点での市場価値は、最も高い英プレミアリーグが約1.6兆円。10位のトルコのスュペル・リグで約1,500億円。なおJリーグは約428億円。)今回の民営化により、2030年までには80億リヤル(約3,030億円)を超えると見込んでおり、かねてよりサウジ政府とサッカー協会が掲げていた「2030年までに世界のトップ10に入るくらいのリーグに発展させたい」という目標に大きく前進することとなるだろう。2023年にはFIFAクラブ・ワールドカップ、2027年にはAFCアジアカップの開催がすでに決定しており、さらにその先にはカタールに続く中東での2度目となるFIFAワールドカップの開催を見据えている。当初、立候補を表明していた2030年大会(ギリシャ、エジプトとの共催)は断念したものの、その次となる2034年大会は万全の体制で臨もうと準備を進めているようだ。
こうしたサウジの動きに姿がダブるのは、やはり中国ではないだろうか。2010年代、多くの各国代表選手たちの買い占めによって、アジアの大国が10年近く世界の移籍市場の中心であり続けたことは記憶に新しい。だが、今夏におけるサウジの移籍市場における影響力は、当時の中国をすでに大きく超えてしまっている。それは2016年、レアル・マドリード在籍時代のC・ロナウドに中国クラブがオファーしたと言われる金額が約131億円だったのに対し、昨季アル・ナスルが提示したとされるのが約300億円であることからも一目瞭然だ。となれば、次に気になるのが「将来サウジは中国の二の舞を演じることになるのか?」である。

結論から言えば、「“たぶん”、“おそらく”そうならない」である。
確かに旧態依然とした強固な官僚主義、トップダウンによってコロコロ変わる“政府の優先順位”という意味では、中国もサウジも非常に似通っていると言える。だが、中国とサウジで大きく異なるのは、中国サッカーの隆盛が不動産バブルという危うい礎の上に築かれた“砂上の楼閣”だったのに対し、サウジの爆買いを支えているのは“黄金を生み出す泉”であるという点に他ならない。しかも、砂に覆われた広大な国土に眠る黒い泉は、まだまだ枯れる様子はなさそうだ。また前述のチャドウィック教授は中国が失敗した理由を、「アジアでは商業化と民営化に関する知識と経験が不足しており、当局の担当者が直面している事象に対処するための専門知識を持っていなかった」と見ており、対してサウジは2022年のカタールW杯の成功によって多くを学ぶことができると語っている。「サウジはカタール大会からインスピレーションを得たことで、他のアジア諸国が失敗したところでも成功できると信じているのです。」
そして何より、今回4クラブにおこなったような“国営企業の民営化”は、MbSが2016年から提唱している石油依存の経済からの脱却を目指す多角的な国家改革、『ビジョン2030』の中核でもある。790億円(※2016年当時)という膨大な財政赤字解消のためでもある計画なのだが、新型コロナによるパンデミックの影響もあり、残念ながら遅々として進んでいない。だが、次期王位継承者にしてサウジの最高権力者の肝いりの計画が頓挫することは、どんな理由があっても決して許されることではない。そのために欧州メディアが煽るような“ネクスト・プレミアリーグ”は言い過ぎだとしても、「計画のゴールである2030年までは、リーグの規模は拡大し続ける」という見方は少なくないのだ。

とはいえ、サウジが順調に歩を進められるかどうかは約束されているわけではない。何しろ“たぶん”、“おそらく”の部分がサウジ、そして中東に根深く残る難題・難問に大きく関わっているからだ。
2022年7月6日、世界65,000人のプロ選手の権利を守る『FIFPRO(国際プロサッカー選手会)』は“移籍市場における警告”と題した声明を発表。この声明の中で他の6カ国とともに「契約する際には注意すべき国」として名指しされたのがサウジである。例えば過去にノッティンガム・フォレストとボーンマスで活躍したルイス・グラバンは、わずか3か月でアル・アハリから契約を解除されたにも関わらず。賃金の一部と契約金がクラブから支払われなかった。結果としてクラブには、グラバンへ支払うべきだった給与のうちの約7,000万円と違約金の約9,900万円、他にも1年の補強禁止措置も合わせて下されたのだが、これは無事に解決した方のケース。先日マルセロ・ブロゾヴィッチが加入したばかりのアル・ナスルは、2018年のナイジェリア代表アーメド・ムサ(スィヴァススポル)の移籍金一部をレスター・シティに支払われていないことで、1年半の補強禁止というかなり厳しいペナルティを受けたばかりだ。(※ただし支払いが完了さえすれば処罰は撤回されるため、おそらくPIFはすぐさま現金を用意するだろう)『The Athletic』ではサウジのクラブが給与未払いにまつわるトラブルを年間50件も引き起こしていると紹介しており、選手の権利を守る選手会が機能するイングランドなどとは異なり、労働者への保護意識の欠如に起因した係争が頻発している。
数々の人権侵害が指摘されている現在のサウジ社会そのものもまた、成功を阻害する大きな壁だ。MbSが政権に就いて以降、車の運転やスタジアム観戦が解禁されたものの、敬虔なイスラム国家であるサウジでの女性への差別はいまだ根強い。一方で人権擁護を訴える活動家に対しての弾圧は苛烈を極めており、逮捕されたあとに強いられる長期間の投獄だけでなく拷問の常態化が懸念されている。また、サウジが“死刑大国”であることも海外の人権擁護団体から長年問題視されていること。昨年3月には、ここ数十年で最多となる81人の処刑がたった1日で執行された。他にもジャーナリストのジャマル・カショギ氏の殺害事件など、政敵排除を目的とした数々の粛清に、国内外から改革派として期待された皇太子自らが関与していることが明らかになったことで、欧米メディアを中心に「スポーツで人権侵害の問題をうやむやにしようとする、典型的な『スポーツウォッシング(sportswashing)』」とサウジを大いに批判しているのだ。(民営化プロジェクトに対して海外投資家がこれまで二の足を踏んできたのも、前述のPGAとLIVという2つのゴルフツアーが反目しあっていたのも、こうした批判のためである。)

それでも、いくつかのクラブ…例えば余剰戦力を数多く抱えることになったチェルシーなどにとっては、(欧州トップリーグでスターの活躍を観たいファンはともかくとして)たとえサウジ側に多少の問題があったとしても文字通り“救世主”であることは否定できない。過去2シーズンの収支の影響からUEFAのファイナンシャル・フェアプレー(FFP)監視対象となっていたロンドンのクラブは、昨季に強化費6億ポンド(約1,090億円)という大博打に失敗していただけに、高報酬のベテランを相場の何倍もの価格で買ってくれる気前の良い中東のバイヤーはありがたい存在と言えるだろう。
ただしそれも、両者“Win-Win”の状況が続けば、という話。SPLは現在の1クラブにつき4つある外国籍選手の枠を倍増するルール変更を検討中である。今はリーグの知名度と人気向上のために即効性のあるベテランが補強のメインターゲットとなっているが、もしかつての中国がそうしたように働き盛りにあるチームの主力に狙いを変えてきたら…。ただでさえ9月1日に閉まるプレミアリーグの移籍市場に対し、SPLが9月20日までと3週間も長いだけに、もし中心選手の引き抜きがチーム編成完了後にあったならば、空いた穴を塞ぐことはかなり難しいだろう。そもそもの話として、サウジとの取引がFFPの抜け穴として使われていることに、このままFIFAやUEFAが見過ごすとは考えにくい。近いうちに抑止、または規制のための何らかな新ルールが作られたとしても、何ら不思議ではないだろう。可能性はともかくとして、実際こうした懸念が現実になった時に欧州クラブとサウジ、両者の関係が今まで通りでいられるかは怪しい。


果たして過去の中国スーパーリーグと同じく、金にモノを言わせた単なるお騒がせバブルで終わるのか。それとも、政府の支配だけでも民間の管理だけでもない、“サウジモデル”と呼べる新たな形式のリーグが誕生するのか。いずれにせよ今後は派手さとは縁遠い、長く地道な努力も必要となってくる。サウジ政府(と、MbS)がどれだけ我慢強くいられるかが大きな鍵になることだろう。
「彼らはインフラをもう少し改善する必要があると思う。僕自身は、彼らが今後5年間ここでやりたい仕事を続ければ、サウジリーグは世界でトップ5のリーグになれると思ってるよ。」
C・ロナウドの言葉が正しいかどうか。その答えがハッキリするまで、我々もまたサウジリーグを辛抱強く見守る必要があるのかもしれない。
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