チャントやティフォ、フラッグにパイロ、森の中での殴り合いと、ウルトラス文化は特異なものばかり。その中でも、とびっきりユニークなのが、ここ数年で再流行の兆しがあるステッカーである。もちろんパニーニやトップスのようなコレクターアイテムの類ではない。街の美観を損ねるかのように、いたるところにベタベタと貼られているアレだ。なぜウルトラスのメンバーはステッカーを貼るのか、ルールのようなものは存在するのか。今回は社会問題になるほどの“ステッカー大国”ドイツを中心に、身近にあるのに実はよく知られていない、小さなステッカーによる静かで激しい戦いを覗いてみよう。
古代エジプトがその起源とされ、1950年代のドイツで我々が知るプラスティックフィルムの裏に粘着剤を付けた現在の形になったというステッカーは、非常に初歩的な自己表現ツールと言えるだろう。思い出して欲しい、皆さんは子供の頃にステッカーを家中の色々なところに貼って、両親に怒られた経験はないだろうか。または今、あなたの周りに(もしくはあなた自身が)ノートパソコンや自転車、自家用車、ノートにスマホカバー、キャリーケースなどにお気に入りを貼っている人はいないだろうか。ステッカーとは老若男女が最も簡単に、しかも安価で自己を説明できるアイテムなのである。それはもちろん、フットボールファンにとってもだ。
「(フットボールファンはステッカーによって)自分を他者と差別化し、自分のアイデンティティを強化しようとしているんだ。相手を繰り返し嘲り、相手の価値を下げるんだよ。」フットボールファンとステッカーが結びつく理由について、Süddeutsche Zeitung紙にこう答えたのは、数多くのファンステッカーを撮影してきたというドイツの言語学者、ファビアン・ブロス氏だ。ステッカー戦争の激戦地のひとつでもあるミュンヘンに住む彼は、たびたびカメラやスマートフォンで街に貼られた刹那的アート作品の数々を撮影しては、その画像を多くのブログに投稿しているという。



ブンデスリーガ11連覇中のFCバイエルン・ミュンヘンと、現在ドリッテリーガ(3部)で苦しむTSV1860ミュンヘンを抱えるこの街には、実に様々なステッカーで溢れている。それは両クラブのファングループによるものばかりではない。ネオナチ、アンティファ(反ファシスト・反人種差別を掲げた左翼運動で、フットボール界ではセルティックやマルセイユ、ザンクトパウリなどが有名)、そしてウルトラス…。
「単純なスプレーペイントのレタリングと違い、フットボールファンはすごい労力を費やしている。ステッカーにはコミック、コラージュ、美しくデザインされたフォントなど、どれも愛情込めて作られてるんだ。特に注目したいのは、ある特定のトピックではステッカーの多様性を大いに発揮するところだね。例えばアンティファ、ACAB(※警官に対する侮蔑“All Cops Are Bastards”の略称)、フットボールファン特有の文化とか、かな。」(※前述のブロス氏)
記されるメッセージも多種多様だ。特にブロス氏が主に散策するエリアは“Die Löwen”(1860ミュンヘンの愛称、ライオンの意)の生息地域らしく、“Scheiß Bayern. München ist blau.(バイエルン、クソッタレ。ミュンヘンは青。)”のようなライバルへの侮蔑の言葉もあれば、“Mit dem Rücken an der Wand, doch immer wieder oben auf.(壁に背を向けて、常に上へ)”というチャント(※1860ミュンヘンの『Leib und Seele(身も心も)』)のフレーズで仲間を鼓舞するものもある。



そうかと思えば、チームカラーをバックに“不法滞在者とイスラム主義者を追い出せ”といった差別的な文言が平気で書かれていることもある。仮にこのような言葉が記されたバナーをスタジアムで掲げることがあれば、おそらく実行犯はすぐに特定されてスタジアム出禁となり、クラブは多額の罰金を支払わねばならないだろう。対してステッカーを貼る行為は、同じ街角でおこなわれるグラフィティと比べても作業が一瞬であるために非常に逮捕されにくく、前述のリスクを負う可能性は低い。そのために差別的行為によってスタジアムから追い出された無法者が、ステッカー製作に関わることで再び発言の場が与えられるという負の面もあるのだが。
「またステッカーはとても安く簡単に作れるので、非常に人気があるのだと思います。以前は小包用の紙シールを使用していたようですね。ですが、現在では何百万ものプラスティックステッカーを手頃な価格で簡単に購入できるのです。」とは、フランクフルトのゲーテ大学社会学研究所で都市研究やサブカルチャーを研究している、文化人類学者のクラウディア・ウィルムス氏の言葉だ。
ティフォやバナーよりも小規模、低予算(なにしろ10ユーロ=1,500円もかけずにステッカーを1,000枚注文できる)で済み、耐久性・耐水性を兼ね備えたステッカーが新たな表現方法としてウルトラスに注目されたとしてもおかしくはない。Frankfurter Neue Presse紙の取材にウィルムス氏はこう語る。「多くの人に見てもらいたいので、広場や混雑した場所など、人が大勢いる場所に貼られるのは当然です。そのためにステッカーは、特に大都市で広く普及しているのでしょう。」


そしてステッカーは、ファン同士が自分たちの陣地を声高に主張するための道具としても使われる。フットボールファンに多くの情報を与えてくれるステッカーのモザイクは、(言い方は悪いが)電信柱における犬のマーキングのようなものなのだ。前述のウィルムス氏は以下のように表現する。
「ステッカー自体が相互に通信するのです。例えば、都市部では信じられないほどステッカーが貼られた『ステッカー・ミュージアム』が見つかります。ステッカーのいくつかは貼り付けられたり、剥がされたり、追加されたり。“おい、ここはオレたちの場所だから、どこか行け”とでも言いたげに、です。ステッカーは、夕方の地元のパブでの話題と同じようなもの。異なるサッカーファンコミュニティ間の縄張り争いや政治的な意見の相違などから、場合によっては実際の争いに発展することもあるのです。」
普段ウィルムス氏が生活するフランクフルトでは3つのクラブが存在するものの、激しいファンがいることで有名なアイントラハト・フランクフルトが大半の領土を支配済みであるため、冒頭のブロス氏がいるバイエルン州の州都ほどの争いはない。ただし、欧州随一のハブ空港が街の近くにあり、代表戦など多くの国際試合がおこなわれることも多いこの地では、他のウルトラスやファングループのステッカーによる侵略に警戒する必要がある。では、彼らは自分たちの領土を侵犯してきた愚か者に対し、どのような応戦をするのか。


例えば相手のステッカーをチームカラーのスプレーやペンキで塗りつぶす、ペンなどで直接悪口などの落書きをするという方法がある。が、最もポピュラーなのは、それ自体を剥がす…または新たに自分たちのステッカーを上から貼りつけてしまうことだろう。自分たちのテリトリーにやって来て「他人の城に自分の旗を立てた」(※マルセイユのサポーター談)証しとして、所属ファンクラブやウルトラスのステッカーを目立つ場所に見せつける。そんな彼らの訪問が気に入らなければ、存在自体を“なかったことにする”ことが1番なのだ。
特に無粋な足あとを残したままで上から自分たちのステッカーを被せることは、他のフットボールファンやグループに「(元のステッカーを貼った者に対して)自分たちは何も恐れていない」ことを広く知らしめることになる。一方で、友好関係を結んでいるクラブ・団体のステッカーに自分たちのものを重ねるのは、前述の理由から厳禁である。何も知らずにウッカリ貼りつけてしまえば、取り返しのつかない“宣戦布告”にもなりかねない。もし友人を見つけた場合は、自分たちのステッカーをその隣に貼って相手のグループに敬意を示すことが、この小さな世界の中では非常に大事なことなのだ。
ステッカーを貼る行為(ステッカー・ボミング Sticker Bombing)がストリートアートとして定着し始めたのは、アメリカ西海岸の各地に広がったグラフィティにかわる新たな表現方法として、アーティストたちが模索していた70年代〜80年代以降とされている。こうした文化がどういう経緯でフットボールファンと結びついたのかは定かではないが、ウルトラスステッカー文化がドイツやポーランドから広まったとされることや、ステッカーアートの最初の流行時期などから考えると、以前弊サイトで紹介したドイツ伝統のサポーターズファッション『クッテ』のワッペンを思い出さずにはいられない。
SNS全盛の時代にフットボールファンから再評価され始めた最も初歩的なコミニュケーションツール、ステッカー。しかもFacebookやInstagram、TikTokなどでこうした画像があげられては数多くの高評価を得ている様子はなんとも不思議な現象であり、ステッカー好きの筆者としては喜ばしいことだ。もし記事をご覧になった皆さんの中でステッカーが気になった方は、ぜひ海外を訪れた際にはフットボールファンがたむろする場所でステッカー探索をオススメしたい。目立てばすぐに剥がされてしまう刹那的な芸術作品をお楽しみいただければと思う。
ちなみに、ここまで本稿を書いておいて言うのもなんだが、ステッカーを公共物に貼ることは多くの場合で犯罪行為とみなされる。当記事によって弊サイトが犯罪行為を助長・推奨するものではなことをご承知いただきたい。あしからず。もし皆さんがステッカーを貼る場合は場所を考慮した上、あくまで自己責任で…。
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