文化・歴史

誰もが知っている神様の、誰も知らない素顔『ディエゴを探して』

ディエゴ・マラドーナ。サッカー好きなら誰もが知っている、サッカー史に残る偉大な人物。だが我々が知っているのは、あくまで彼の表面的な部分でしかない。今回は“サッカーの神様・マラドーナ”ではなく、“誰からも愛される人間・ディエゴ”の部分をフォーカスした素敵な一冊を紹介したい。

メキシコW杯では母国を優勝に導き、ナポリではチームに初のリーグタイトルをもたらし、世界中の様々な場所で多くの人々に笑顔を与えてきた不世出のスーパースター。我々の知るマラドーナは常に観る者の期待に応え続けてきた。だからこそ、彼は生きながら“サッカーの神”になったわけだ。

常に人々に歓喜をもたらしてきたヒーロー、ディエゴ・マラドーナ。しかし彼の華々しい活躍とは異なり、穏やかで周囲を気遣う優しい彼の素の部分を知る者は、みな神様であることを否定する。

しかし、彼を知る近しい者ほど、彼が神であることを強く否定する。藤坂ガルシア千鶴さんの著作『ディエゴを探して』には、これまで我々が見てきた仰々しい偉業の数々とは一線を画す、彼の人間としての魅力あふれるエピソードが満載だ。もともとマラドーナに魅せられたあまり、マラドーナという存在が日々の生活に溶け込んでいるアルゼンチンはブエノスアイレスへ、大学卒業してまもなく移り住んだという著者の、とても丁寧で優しく、細やかな取材に、マラドーナへの深い愛情を感じずにはいられない。

イタリア、ナポリの建物に描かれたマラドーナの絵。多くの人が撮影に訪れる。
マラドーナ、スキル集。
1979年、日本で行なわれたFIFAワールドユース トーナメント。(※現 FIFA U-20W杯)この大会でのマラドーナの活躍に惚れ込んだ日本のファンは多いはず。

本書は3章構成となっており、1章ではアルヘンティノス・ジュニオルズのジュニアチームでの活躍を中心とした知られざるマラドーナの少年時代が。2章ではプレーのみならず彼の人柄に魅了された人々の証言、そして3章では“みんなのマラドーナ”の役割への苦悩が垣間見える“人間・ディエゴ”の姿が記されている。

とくに著者が「ドキュメンタリーを作るとしたら、8歳から15歳までの7年間を選ぶ」と語るように、136試合とも151試合とも言われている連勝記録を持つ謎多き最強ジュニアチーム、“ロス・セボジータス”(小さな玉ねぎたち)のエピソードは興味深い。マラドーナフリークに名前は知られているものの、実際この不思議なチーム名の由来や、活躍を報じる当時の新聞記事などは、他の媒体でなかなかお目にかかれない貴重なものばかりだ。

少年時代のディエゴ。ここからわずか数年で一気にトップチームまで駆け上がって行くとは、誰が予想できただろうか。
ロス・セボジータスに所属していた頃のディエゴ少年。すでに世間では有名な天才少年だった。

全編にわたって感じられるのが「不正や巨悪を憎み、弱者のために戦う」という生まれついてのリーダー、ディエゴの姿だ。第2章で語られているように、誠意を持って接してくれる相手には全力で応えようとする様子は、神々しいスーパースターとも、ましてやその後に付けられた“悪童”というダーティーなイメージともかけ離れており驚かされる。(もちろん本書に記されているどのエピソードも、ある意味“神”対応ばかりなのだが)筆者が個人的に好きなのは「ボケンセを救ったシャツ」の話。倒産の危機を迎えた町工場がディエゴの寛大さとユーモアに救われる逸話は傑作、彼の魅力が詰まった一本だ。

だからこそ“みんなのマラドーナ”であり続けなければいけないという重圧は、彼の心と身体に多大な負荷をかけていたのだろう。それは常人には想像だにできないものに違いない。思えば彼が引き起こした奇行の数々も、大きな役割に押しつぶされそうになりつつも、誰にも相談できず誰にも吐露することができなかった彼の、心からのSOSだったのかも知れないと思うと、なんともやるせない気持ちになってしまう。

様々なトラブルに、時に巻き込まれ、時に巻き起こしてきた。人々に多大なエネルギーを与え続けたかわりに、自身は著しく消耗していった。

とはいえ、安心してほしい。全て読み終わった後に残るのは、決して悲壮感ではない。この本のプロローグにも登場する、長年マラドーナの元パーソナルトレーナーを務めていたフェルナンド・シニョリーニの言葉が象徴的だ。

「ディエゴとなら世界の果てまで一緒に行く。でもマラドーナにはちょっとそこの角まで付き添うのも嫌だ。」

どのエピソードにもディエゴの素晴らしい人間力にあふれ、そのおかげで笑顔のまま読み進めることができる。暖かい気持ちのまま、あっという間に最後まで読み終えてしまうような一冊になっている。そしてこのような人物がもうこの世にいないということを、心の底から残念に思うのだ。

どんなに名声を勝ち取っても、いつまでもサッカーが大好きな、あの頃の“ペルーサ”(※ふさふさの毛、の意)のままだ。

まだマラドーナのことをよく知らない方はもちろんだが、彼の魔法のようなプレーの虜になったサッカーファンにも、ぜひオススメしたい。間違いなく今以上にディエゴ・マラドーナを好きになるはず。そして、彼を神様の位置よりも、ちょっとだけ身近な存在に感じられるかも知れない。

『ディエゴを探して』藤坂ガルシア千鶴 (出版社:イースト・プレス)

【藤坂ガルシア千鶴(ふじさか・がるしあ・ちづる)】
ライター、コラムニスト、翻訳家。1968年10月31日生まれ。清泉女子大学英語短期課程卒業。89年からアルゼンチンの首都ブエノスアイレスに暮らす。78年W杯でサッカーに魅せられ、同大会で優勝したアルゼンチンに興味を抱き、その後マラドーナへの強い憧れからアルゼンチン行きを決意。大学在学中から「サッカーダイジェスト」誌にアルゼンチンサッカーの記事を寄稿し、その後30年以上にわたってスポーツ紙や専門誌に南米サッカーの情報を送り続けている。著書に『マラドーナ 新たなる闘い』(河出書房新社)、『ストライカーのつくり方』(講談社現代新書)、『キャプテン・メッシの挑戦』(朝日新聞出版)、訳書に『マラドーナ自伝』(幻冬舎)がある。(※本書、著者についての説明より)

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KATSUDONLADS FOOTBALL編集長
音楽好きでサッカー好き。国内はJ1から地域リーグ、海外はセリエAにブンデスリーガと、プロアマ問わず熱狂があれば、あらゆる試合が楽しめるお気楽人間。ピッチ上のプレーはもちろん、ゴール裏の様子もかなり気になるオタク気質。好きな選手はネドヴェド。
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