文化・歴史

スタジアムからファンが消える…制裁下のロシアサッカーが直面する窮状

「無残」。あるロシアの独立系メディアは、目の前に広がる光景をこう表現した。2023年3月、約4ヶ月ぶりに再開した2022-23シーズンのロシア・プレミアリーグ(以下、RPL)。その後半戦最初の試合となった第18節は、どの会場も空席ばかりが目立ち、いくつかのスタジアムでは近年で最低となる観客動員数を記録することになった。スペインを破って史上初のベスト8進出(※ロシアとなってからは初。最高位はソビエト時代のベスト4。)を果たした代表チームの活躍も相まって、表向きには成功裏に終わった自国開催のワールドカップから早4年。もともとスポーツ観戦の習慣がない国民性、世界的なコロナ禍、ウクライナへの侵攻、そして新たな法律施行の影響により、ここまでロシアサッカーの人気向上に尽力してきた人々の努力は水泡に帰そうとしている。

2022年2月におこったウクライナ侵攻、その制裁としてポーランドとのプレーオフから除外され、FIFAワールドカップ2022 カタール大会(以下、カタールW杯)の参加資格を失ったロシア。大会期間中、街のスポーツバーに集まったフットボールファンたちは、祖国のいない世界最大の祭典を楽しんでいた。代表チームの活躍を観れないのはさぞかし悔しかろうと思いきや、FIFAやUEFAの裁定に対し「政治とスポーツは分けるべき」と不満を示しつつも、彼らの意見はおおむね「いずれにせよロシアが本大会に出場することはできなかっただろう」と実に冷ややかだ。

サンクトペテルブルクのファンが「ロシアのフットボールはいつも良くなかった。変化を感じない。」と話せば、モスクワのファンは「もしロシアが大会に参加できたとしても、応援したかどうだか。僕はロシアのチームを応援してるわけじゃなくて、美しくて素晴らしいフットボールのファンなんだ。」と、自国の代表がいてもいなくても気にしないといった様子。スポーツ専門メディア『Championat』にいたっては、カタールW杯直前におこなった2つのトレーニングマッチ(タジキスタンとウズベキスタン)でロシアが無得点に終わったことを引き合いに出し、「タジキスタンに勝てないのだから、W杯に出れなくて良かった」と痛烈な皮肉でチームを批判した。このようにロシアでは、代表に対する国民とメディアの期待と信頼はあまり大きくない。

ロマン・パヴリュチェンコ、ユーリ・ジルコフ、コンスタンティン・ジリャノフ、そしてアンドレイ・アルシャヴィン…。名将フース・ヒディングに率いられ、EURO2008で躍進を遂げたロシア代表チーム。大会終了後、活躍が認められたメンバーの幾人かは海外のビッグクラブへと移っていった。ロシア代表が国際舞台で輝いた数少ない大会のひとつ。(※画像:imago)
いわゆる“死の組”を全勝で突破したオランダを迎えたEURO2008の準々決勝、国民からも期待されていなかったロシアは見事に戦前の予想を覆してみせた。

かつてヴィタリー・ムトコ スポーツ大臣(※2015年当時)は代表チームが国民からの支持を失っている要因として、協会内の内紛など様々なスキャンダル、魅力のない国内リーグに加え、代表チームの低パフォーマンスが大きな原因であるとサッカー協会(※ロシアサッカー連合 RFU)に対し非難したことがあった。全ロシア世論調査センター(WCIOM)が2019年12月におこなった世論調査によると、熱狂的ファンであると答えたロシア国民は全体のわずか7%にとどまり、一方で過半数の59%が「フットボールに無関心」と答えるという結果に。この数字は2018年以前の水準とほぼ同じであり、ロシアW杯で高まったサッカー熱をロシアに定着することができなかったことを示している。この世論調査のあと、2021年に開催されたEURO2020ではグループリーグで最下位に終わっており、人気回復どころか名誉挽回の機会すら失われて、いまや先細りの状況だ。

加えてウクライナ戦争である。カタールでも取材をしたジャーナリストのフィリップ・クドリャフツェフ氏は、「ロシア全土で(戦争によって)非常に多くの人が親戚を失っている。フットボールはいま、それほど重要ではない。」と指摘する。それだけではない。国際社会からの孤立を生んだ“特別軍事作戦”は、ロシア国民に競技の魅力を伝えるチャンスすらも奪っているのだ。ロシアでも人気が高いプレミアリーグを運営するFA(英国サッカー協会)は侵攻を機に、ロシア国内で同リーグの放映権利を持つランブレル社との契約解除を表明。フランスのリーグアン、スコットランドのスコティッシュ・プレミアリーグ、ポルトガルのプリメイラ・リーガもFAの決定に追従して配信を終了した。

今のところUEFAチャンピオンズリーグとブンデスリーガの放映権に関してはスポーツ専門チャンネル『MATCH TV』がかろうじて所持している。だが、開戦当初に「“STOP WAR”と書かれたバナーが映った」という理由から、ブンデスリーガの中継をたった9分で終了してしまったという“前科”があるだけに、今後も貴重な視聴機会が放送局都合で失われていく可能性は高い。海外の銀行カードを所持しているファンは西欧側のストリーミングサービスでの視聴を試みるが、そうでない者は違法な手段を用いた海賊放送、それも叶わない場合はフットボール観戦自体をやめてしまっているという。熱烈なファンの中からは「ロシアのチームが出ていないからじゃない。“適切な”メディアの報道もなく、国際試合にもヨーロッパのフットボールにも興味を失ってしまった。だから試合を観て興奮する、なんてことはもうないんだよ。」と嘆く声が聞こえてくる。

カタールW杯期間中、“スラブの兄弟”セルビアとブラジルの中継を流すモスクワのスポーツバー。ファンが「新聞の一面を飾らないW杯は初めて」と語るように、ロシア国内メディアの注目度はさほど高くはない。セルビアが早々に敗退したこともあり、人々の大会への興味は急速に薄れていった。 (※画像:YURI KADOBNOV/AFP/Getty Images)
現在ロストフからスペイン2部のウエスカへローン移籍中の、元日本代表・橋本拳人選手。ウクライナ侵略を機に、橋本選手と同じ外国籍の選手や指導者たちが数多くロシアから離れていった。短期間での戦力の大量流出は、急速にRPL自体のレベルと魅力の低下を招いており、フットボールファンの心が離れる一因にも。協会はAFCへの転籍やクリミアのチームを組み入れることで競争力強化を考えているが、前者ならアジアのレベルを嫌って、後者ならFIFAやUEFAがロシアのチームの永久除外処分を下す可能性から、現在残っている外国籍選手もいなくなるだろうと予想されている。

悪いことは続くもの。取り巻く環境が急速に悪化する中、ロシアサッカーにトドメを刺しかねない法律がウラジミール・プーチン大統領によって2021年12月に承認される。ロシアW杯でFIFAから高評価を受けた認証システム『ファンID』の、国内リーグでの運用開始である。今後ロシアでは、IDを取得しなければスタジアムに入ることができなくなる。観戦希望者はまず政府のポータルサイトに個人情報を登録しなければならず、そのあとに自身の写真をアップロード、手続き完了の連絡が送られたらパスポートを持って窓口へ行き本人確認、それを2度ほど繰り返し、ようやくIDを取得する…という工程を経て初めてチケットの購入が許されるのだ。ちなみに、苦労して申請してもID取得を拒否されるというパターンも存在する。当局が「申請者に違法行為をおこなう意図があると判断した場合」なのだが、その明確な判断基準は明記されておらず、結局は役人のさじ加減ではないかという疑念を払拭できずにいる。

2022-23シーズン開幕時に5つのスタジアムで先行導入され、その後ウインターブレイク明けに全会場で開始された。各スタジアムの入口には顔認証用のカメラが設置され、違反者や前科のある過激なサポーターは入場できないようになっている。治安が悪いことで有名なロシアのスタジアムを安心・安全な環境に変える…それが当局の(とりあえず表面上の)狙いなのだが、描いた青写真通りにはいかないのがロシアというもの。凶悪なフーリガンどころか、来場者の3割を占めていた“クズミチ”と呼ばれる(年に5〜6回程度、試合に足を運ぶような)静かに観戦を好む一般のファン層すらスタジアムに近づかなくなったのだ。

VEBアレナで開催されたCSKAモスクワとゼニト・サンクトペテルブルクとのビッグマッチでハプニング。一部のゲートのファンIDシステムがトラブルのために機能停止、入口の前には長蛇の列ができた。ファンがようやくスタジアムの中に入れたのは、試合開始から20分経ってからだった。また、システムに慣れていない利用者がゲート前に並んでから初めてメールを開けたりQRコードを探したりと、準備不足も行列が解消されない要因となった。(※画像:Sports.ru)
スタジアムのファンIDシステムが機能せず、試合開始のホイッスルが鳴っても会場に入れないCSKAのファンたち。目の前で試合がおこなわれているにも関わらず、彼らはゲート前でスマホから試合観戦を余儀なくされている。

全盛期だった2018-19シーズンと比べ、今季ここまでの平均入場者数はほぼ半分近くにまで激減。各会場で過去最悪の観客動員数を更新している原因について、あまり熱狂的とは言えないクズミチが前述の面倒な手間をかけてIDを取得するより、最初から観戦しないことを選択したのではと言われている。議論の時間もないまま法案が可決され、W杯で使用していたシステムをそのまま国内リーグ用に持って来た弊害か、システム運用当初に様々なトラブルや長蛇の列が発生したこともID取得への意欲を阻害しているのだろう。さらに別の分析を示すのは、ロンドンに拠点を置くロシア人ジャーナリストのイリーナ・ ボロガン氏。「多くの若い男性たちは徴兵を避けようとしています。そのために自分の個人情報のすべてを国と共有するつもりはないのでしょう。」戦争の影響はここにも及んでいる。   

IDを取得しようとしないファンの存在は、クラブの財政にとって当然見逃せない問題だ。ある試算によれば、このまま観客数が低迷すると、ゼニトとスパルタクでは最大で年間4億ルーブル(※約6億7千万円)の損失。リーグ全体の合計損失額では、15億ルーブル(※約25億3千万円)にのぼる可能性があると言われている。そのためいくつかのクラブではファンIDシステムを続けることに疑問を呈しており、共産党の下院議員たちも「大衆文化の一部だった私たちのフットボールは、このままではすべて殺される」として、国内大会に限りファンIDを廃止すべきという内容を盛り込んだ法案を提出予定だ。ただし、大統領補佐官でロシア・オリンピック委員会の第一副委員長であるイゴール・レヴィチン氏は、「決定は下され、システムはすでに始まっている。確かに、法に問題がある場合は修正する必要はある。だが、いまファンIDを廃止するかどうか議論することに価値はない。」と、政府側からクラブやファンに歩み寄る様子は一切ない。

ゼニトvsヒムキの試合では、地元の学校に通う生徒たちに多くの無料チケットが配られた。国からの強い要請から、各クラブは様々な特典でさらなるID取得を促す方策を打ち出そうとしているが、肝心の政府からの支援は一切なく、計画はいまだ実現しないままとなっている。
22-23シーズンのRPL第20節、モスクワのロコモティフ・スタジアム。ロコモティフvsクラスノダールという注目試合の1時間前、普段ならば多くの観客で埋まるスタジアム前の広場もこの有様。結局この日、スタジアムに集まった観客は3,335名。これはコロナ前の19-20シーズンの同会場の同カードと比べて1/5以下の数字だ。

本来ならクラブが最も頼りにすべきは熱狂的なサポーターたちなのだが、この法律によって最もワリを食うのが他ならぬウルトラスである。前科のある凶悪なフーリガンを排除するためのシステムである以上、脛にキズある奴らの集まるウルトラスが1番の標的となっているのは火を見るより明らか。政府の計画が発表されるやいなや、スパルタク最大のウルトラスグループ『フラトリア』はウェブサイトに「スタジアムは刑務所じゃない。フットボールはファンのためのものだ。」とのメッセージを掲載。続くゼニトのファンも「計画は不透明、かつ抑圧的」であると法案を非難し、ディナモファンは「憲法で保証されている“基本的な公民権と自由”を侵害している」と主張した。そして彼らは、この法律が廃止されない限り今後の試合をボイコットすると表明したため、リーグ再開となった3月の時点でRPL所属16チームのうち15のクラブのファングループがスタジアムから姿を消すことになった。

スタンドから去ったウルトラスの中には、ロシアがウクライナ東部に建国したルガンスク人民共和国の民兵などに参加し、すすんで銃をとり最前線に向かった者も少なくない。ロシア軍もまた、戦争が長期化する中で極右のフーリガンたちに目をつけ、新たな戦力として大いに期待している。実際にゼニト、スパルタク、ロコモティフなどの国内主要クラブのサポーター、そしてマルセイユの乱闘で悪名を轟かせたフーリガン集団『オレル・ブッチャーズ』のメンバーなどを加えたウルトラス部隊、通称『エスパニョーラ部隊』を編成。大都市を中心に“勧誘”した結果、入隊希望者は数百人にのぼったと言う。部隊のリーダーで“エスパニョーラ”の由来でもある元ロシア代表DF、スタニスラフ・“エスパニアード(スペイン人)”・オルロフは、愛国者達の士気の高さに満足気だ。「準備は進んでいる。いろんな街のサポーターが、我々が求めるすべてをもたらしてくれるからな。」志願したウルトラスのメンバーの1人も、「ロシアの利益のためなら戦車を爆破することだってできる。クラブに忠誠を尽くせば、国に忠誠を尽くすことにもなる。無駄な人生を送ることは怖いが、理念のために死ぬのは怖くない。」と、地元メディアに意気込みを語っている。かつてロシアW杯では大統領が国の威信をかけ、彼ら凶悪ウルトラスらの封じ込めに力を入れていたことを考えれば、なんという皮肉だろうか。

リーグ再開初戦、サンクトペテルブルクのガスプロム・アレナの外には、ゼニトファンによる「静寂を聞きに来い」と皮肉めいたバナーが。ファンID運用初日の試合ではほぼ空席状態のスタジアム。クラブは試合中、あらかじめ録音しておいた“ウルトラスの音声”を流し続けたという。
「ファンIDは必要ない!」新法律施行前の2022年3月。ファンIDの内容が発表されてすぐ、普段はライバル同士のロコモティフとCSKAのファンが一緒になって反対の声をあげた。
記念写真を撮る、CSKAモスクワのファンを中心としたエスパニョーラ部隊のメンバー。ウクライナ同様、極右思想を強めるロシアのウルトラスたちは、クラブと祖国の名誉のために戦場へ向かうことを選択した。

ウクライナにいるファシズムたち、そしてFIFAとヨーロッパの両方を裏から支配しているアメリカこそが真の敵と捉えている彼らは、ロシアがウクライナに勝ちさえすれば以前のように戻ると信じて疑わない。「フットボールファンにとって、国の運命は国際試合より重要だ。(ロシアサッカーの未来は)ロシアの兵士たちにかかっているんだ。」ロシア代表の公式サポーター組織のリーダーであり、右翼活動家としても知られるアレクサンドル・シュプリギン氏も、地元メディアにこうコメントしている。

国民の無関心、あふれる暴力、政府の徹底した管理とボイコット、そして戦争。様々な問題を抱えているロシアサッカーを、杖をひと振りすれば全てを好転させる魔法も、すぐさま効果があらわれる抜群の特効薬など存在しない。ましてや、戦争の勝利によってもたらされるものでもない…はずだ。

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音楽好きでサッカー好き。国内はJ1から地域リーグ、海外はセリエAにブンデスリーガと、プロアマ問わず熱狂があれば、あらゆる試合が楽しめるお気楽人間。ピッチ上のプレーはもちろん、ゴール裏の様子もかなり気になるオタク気質。好きな選手はネドヴェド。
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