「日本でのほほんと暮らそうと思えば暮らせるんです。Jリーグの全タイトルも、ACLのタイトルも獲りました。ルヴァンカップでいえば、大会の初代MVPも。J2からの昇格っていうのも経験しましたし、獲れるものは全部獲りましたから。だから自分の中では大きな挑戦ですね。凄くやりがいのある挑戦です。」
暮れも押し迫った2021年12月、J1・京都サンガを退団した李忠成は入団記者会見の席上で、真新しいオレンジ色のユニフォームに袖を通した姿を披露していた。
大きな挑戦、それはプロ8クラブ目として再び海外を選んだことだった。それも“サッカー界最後のフロンティア”東南アジアの中でも小国と位置付けされる、シンガポール1部リーグのシンガポール・プレミアリーグである。

-シンガポールリーグで人気、といえばどこのクラブですか
-日本と比べてシンガポールのサポーターは激しい?

-鳴り物入りで移籍した李選手ですが、リーグでもかなり人気では

シンガポールリーグはユニークなリーグだ。以前LCSの記事でご紹介した通り、国内サッカーは国からの支援とサッカーくじに大きく依存しているために多くのクラブは経済的自立が成されておらず、経営破綻により解散・合併するクラブは少なくない。2015年以前は12あったクラブも、現在では8クラブと数を減らしている状況だ。一方でシンガポールサッカー協会はリーグの維持と自国の代表チーム強化のためにと、2003年からU23シンガポール代表チームを中心とした協会が運営する『ヤングライオンズ』を加えると同時に、アルビSやブルネイのドゥリ・ペンギラン・ムダ・マーコタFC(※現在はコロナ禍による渡航制限により撤退)、また過去にはフランスや中国などからの外国資本のクラブを招待参加という形で組み入れている。(そのためアルビSがリーグ優勝したとしても、彼らがシンガポールの代表としてAFCアジアチャンピオンズリーグのようなアジアのコンペティションに出場することはできない。)
「シンガポールサッカーを発展させるために、これまではアルビのような日本企業のクラブがリーグを引っ張ってきましたが、セイラーズみたいなチームが入ってきて今後は、やはり地元チームが勝たなければいけないと思うんですね。でなければシンガポールリーグは盛り上がらなければいけないと思いますし。一方でアルビレックスも毎年毎年制約(※レギュレーション変更による年齢制限など)のようなものを課せられ、勝てなくさせている中でも勝っていってるんで。その中でアルビの功績で言えば、日本人のOB選手が全てのチームの中心選手として活躍している。だから今、アルビにとっては第2フェーズですね。その選手たちがどうシンガポールサッカーを発展させていくかが、第3フェーズになっていくと思います。」

-シンガポールサッカー、実際の印象は?
「シンガポールリーグの試合は事前に観てました。伸びしろしかないな、という印象でしたね。身体能力はある、足の早さもドリブルもある、でもサッカーの仕方がまだわかっていない。例えば相手が右にいるのに、なんで左足にボールを出さないの、とか。考え方ひとつ…“サッカーIQ”とかが必要なんで。僕の場合はご存知の通り、プロ1年目は全く通用しなかった。ベンチに1mmも入れなかった選手でもココまでこれたっていうのは、正直誰よりも考えていたからです。サッカーは考えることが大事で、サッカーのやり方だったり1つ角度が変われば、もっともっといい代表チームだったり、シンガポールサッカー自体が魅力あるものになるんじゃないかなと思ったんです。」
“30年前の日本サッカーのよう”とは、シンガポールサッカーを目にした日本人が異口同音に語る感想だ。技術面や試合の進め方といった選手個人の部分だけではない。助成金頼りのクラブ運営、熱はあるものの地元に興味を持たないファンなど。かつては日本より強豪だった時代もあったシンガポールではあるが、フットボールにまつわるありとあらゆるものがいまだ途上にあり、社会の中にカルチャーとして定着しているかと言えば疑問が残る。
改めて聞いてみた。そんなシンガポールで、李忠成がキャリアをかけた挑戦をしようとするのはなぜなのか。すると彼は、かつてJリーグに在籍したスター選手たちの名前を引き合いに出しながら答えてくれた。

現在のシンガポールに過去の日本サッカーをダブらせるだけに、いまシンガポールサッカーに何が必要なのかがわかるということだろう。まもなくジーコが日本にやって来た時の年齢に近づこうとしている彼もまた、かつてサッカーの王国から来た伝道師たち同様、ピッチ上のみならず様々な活動を通じてプロ選手の立ち振る舞い、社会との関わり方をシンガポールの人々に示そうとしている。
「1ゴールごとに貰えるボーナスを子供たちがスポーツをする環境を整える団体に寄付しています。やっぱりシンガポールでゴールしたのであれば、シンガポールに返したいなと。」
彼が賛同するSportCaresは、スポーツを通した社会貢献を目的としたシンガポール青少年省が所管する慈善団体である。李はシーズン中、この団体へゴールボーナスを全額寄付する試みをおこなっている。さらには同団体が主催するユース年代のサッカースクールの講師として趣き、若い選手たちとともにイフタール(※イスラム教の伝統儀式・ラマダン中に日没後とる夕食)に参加することも。そんな姿にこのプログラムで改めてサッカーの素晴らしさに触れる若者たちからは、「李選手のようなワールドワイドな選手がシンガポールリーグでプレーしているのを観るのは嬉しい。でも彼が僕らと交流し、ゴールを決めるためのヒントをくれたり、一緒に食事に参加したりするのを見るのはもっと最高だよ!」と大好評である。

「僕がイギリスに行った時に、スポーツは社会貢献にもなるよっていうのを感じたんです。僕はそれまで日本のサッカーしか知らなかったんですけど、イギリスに行った時にプレミアリーグの選手ほど奉仕活動をメチャメチャするんですよね。寄付をしたり、病院に行って子供たちに会ったりとか。色々なことを結構頻繁にやっているのにビックリしちゃって。それが150年間の歴史の中で彼らが作ってきた、本当のサッカー文化なんだろうなと。僕もそういったサッカー選手になりたいなと思って、例えばSPOON FOUNDATION(※貧困や飢えに苦しむ子供たちを支援するため、2017年4月にプロサッカー選手が中心となり発足したNPO団体)というものを立ち上げて、いまもやってるんです。サッカーをしながらでも社会貢献できる、それがサッカー選手…というのを文化にしていきたいなと思って。金額とかじゃないと思いますね。ホントに想いであって、行動することによって1人でも多くの人たちが何か感じることが大事だと思ってます。」
【後編はこちらから】

李忠成(り・ただなり)
1985年12月19日生まれ、東京都出身。
高校卒業後の2004年、FC東京U-18からトップ昇格を果たしプロの世界へ。その後は柏レイソル、サンフレッチェ広島を経て、2012年にはイングランド・プレミアリーグのサウサンプトン(※当時2部)への移籍を果たした。怪我のため出場機会に恵まれなかったものの多くのゴールに絡む活躍を見せ、中でもダービー・カウンティ戦でのゴールは「セント・メリーズの衝撃」と呼ばれ、今も地元ファンの間では語り草となっている。国内に復帰した2014年以降は浦和レッズ、横浜F・マリノス、京都サンガと渡り歩き、数多くの国内タイトルを獲得。アルビレックス新潟シンガポールの一員となった2022年シーズンでは、ゴールはもちろんチームの2年ぶりのリーグ制覇も期待されている。また代表チームでも存在感を示しており、2008年は北京五輪代表、2011年からはA代表として活躍。特に日本をアジア王者に導いたアジアカップ・カタール大会決勝、延長での劇的ボレーシュートは数ある日本代表のゴールの中でもハイライトのひとつに数えられている。
●李忠成オフィシャルウェブサイト https://www.leetadanari.com ●Twitter @Tadanari_Lee
●Instagram @tadanarilee_official ●YouTubeチャンネル 李忠成/Tadanari Lee
投稿者プロフィール

- LADS FOOTBALL編集長
- 音楽好きでサッカー好き。国内はJ1から地域リーグ、海外はセリエAにブンデスリーガと、プロアマ問わず熱狂があれば、あらゆる試合が楽しめるお気楽人間。ピッチ上のプレーはもちろん、ゴール裏の様子もかなり気になるオタク気質。好きな選手はネドヴェド。