インディアン・スーパーリーグ、ケーララ・ブラスターズ所属の坂井 大将(さかい・だいすけ)選手とLADS FOOTBALLのインタビュー企画第2弾。後編では、坂井選手がアジア最大のファンを抱えるケーララとの契約に到るまでに体験した、怒涛の3ヶ月間の裏側について伺っていく。まるで冗談のような理由や、オーナーの鶴の一声で一変する海外移籍事情はまさに一寸先は闇。ピッチの中でボールを蹴っているだけでは済まない、ピッチ外での様々な戦いも強いられるプロフットボーラーという職業に改めて敬服するばかりである。なお、今回も坂井選手だけでなく、金古聖司氏にもインタビューにご協力をいただいている。この場を借りて感謝を申しあげたい。
【※6万人が埋まるスタジアム?外に出ればサイン攻め??坂井選手から見た、熱狂と驚きだらけのインドサッカーを語っていただいたインタビュー前編はコチラからどうぞ。】
-プレーオフ決勝まで勝ち進んだカスタムズ・ユナイテッドでしたが、残念ながら1部昇格とはなりませんでした。その後、坂井選手はカスタムズを離れることになる訳ですが、当時チームはどんな状況だったんですか?
「カスタムズのオーナーが(1部には)上がらないって言ってたんですよ。本当はT1(※タイ1部リーグ)のライセンスが取れたのに。でも、マダム・パン(※タイ1部のポートFC会長。タイ代表チームマネージャーでもある女性で、タイ・フットボール界の最重要人物である。余談だが、“美魔女”としても有名。)はオーナーが勝手に1部に上がらないって言ってるのを知らなかったんです。だから監督なんかは来年頑張ろうって話してたんですけど、上がらないってなった時にはもうみんなモチベーションがなくなってるし。マダム・パンも来年からはサポートしないので、お金がないから外国人もタイ人もみんな雇えません、って。」
マダム・パンが代表取締役兼社長を務めるタイ最大手の生命保険会社『ムアンタイ生命保険』は、カスタムズの主要スポンサーである。金銭面・人材面の多大な援助を失う形になったカスタムズは戦力を維持できなくなり、全て手放さなければならなくなったのだ。アオリを食う形になった坂井選手は、いったん日本に戻って新たなオファーを待つ事になる。

「そこから6月になって日本帰ってから、タイ1部の某チームからオファーが来たんですよね。でも、話が来たのに返事したら、やっぱり待ってと言われて。僕と候補にあがってた選手がいて、給料安いからそっちの方を取る…みたいな。僕も金古聖司さん(※筆者注: 国内外を問わない現役時代の豊富な経験から、現在はエージェント業務と選手のコンディション管理のサポートをされている元鹿島、神戸、福岡、名古屋にも在籍していた名CB。)も経験上、タイはそうなったらもう危ないってことで切り替えて、なかったことにして(笑)」
その後にT2の2チームから連絡を受け、そのうち1チームと契約を結ぶことになった坂井選手。だが、残念なことに、そう簡単にコトは進まなかったのだ。
「サインしたのが7月の頭。でも2週間ぐらい、また向こうからずっと待ってと言われて。そうしていたら、急に新監督の契約解除がSNSで発表されてて、その同じ日に僕はクビだと。驚いていたら、その2日後にチームのグループLINEからも退会させられてる。まだ合流してもないんですよ、チームに(笑)その後、タイのエージェントから正式に“キャンセルされた”と連絡がありました。それが7月20日くらいで、タイの移籍ウインドーの締切は8月4日。その次の週くらいから開幕なのに…。どうやら僕は、オーナーのゴタゴタに巻き込まれたらしいんですね。クラブ売りますっていう話がキッカケで。クラブの買い手があらわれて話がまとまり、新オーナーのもとで新監督や僕ら外国人選手が契約書にサインしたのに、急に前のオーナーが“やっぱり売らない”(苦笑)」
金古氏「やっぱタイですからね。ちなみに俺もタイの時、2年契約で1年で切られました。」
「タイでは…そこに一喜一憂していられないですよね。」
金古氏「タイ語で“マイペンライ”って魔法の言葉があるんです。“なんとかなるさ”って(苦笑)」
「タイで知り合った日本人選手やタイ人監督からは、ダイスケどうなった?って聞いてくれて。そのたびに“チームない?チームない?”って連絡してるんですけど、ウインドーの締切まであと2週間くらい。どのチームも7月の頭からプレシーズンが始まっている。やっぱり外国人枠も、アジア人枠も埋まってるんですよ。そんな中でキャンセルの連絡から4日後、最初に声かけてくれたタイ1部の某チームのスタッフから、“ダイスケ、まだ取引は可能?”みたいな連絡がまた来て。理由を聞いたら、“(坂井選手のかわりに選んだ選手と)一緒にプレシーズンを戦ってるんだけど、あまり良くないんだよね”みたいな。“今からタイに来て、練習参加できるか?”って言うんですよ。T2のチームにキャンセルされた時点で金古さんには日本国内のチームを色々あたっていただいたんですけど、タイのチームからも連絡が来たので、すぐチケット取って。昼に連絡もらって、夜には福岡に移動して博多で1泊、次の日の早朝の便でタイへ行きました。意外と簡単に海外行けるんだなって(笑)でも、行ってみたら、向こうのスケジュールミスで最初の3日間何もやらないっていう(苦笑)練習試合組まれてたのに、ケガ人多くなったからキャンセルになったって!(笑)」

「そのタイの某チームは監督もコーチも、6月にオファーをくれた時からずっと僕のことを欲しいと言ってくれてて。でも、“オーナーはなんて言うかな”と。それで監督は、“練習試合がキャンプ最終日、8月2日に組まれてる。オーナーも来るから、そこで見せてやってくれ!”って。僕、その日すごくパフォーマンスが良くて。終わったあとに、どうですかって聞きに行ったんですよ。そうしたら、“週末にもう1度練習試合があるから、そこで見たいってオーナーが言ってる”って。週末だったらウインドー閉まってますって言ったら、“ごめんごめん、今すぐオーナーに確認するわ”(笑)結局、その日の夜のうちに当時のタイの代理人から、“やっぱり給料の問題でダイスケを獲れないと言ってる”という連絡がありました。でも、そのあとにインドのオディーシャから、“4日からタイのホアヒンでキャンプをやってるから、獲得する前に実際に見てみたい”と連絡をもらったんですね。そこの監督が、去年の僕の映像を観てくれていたらしくて。」
禍福は糾える縄の如し。坂井選手がちょうどタイにいたこと、そしてタイの某チームからキャンセルされた直後ということも幸いした。オディーシャからの練習参加の誘いに即答した坂井選手は、翌日7時間かけてキャンプ地のホアヒンへと向かった。
「そうしたらタイのチームのマネージャーからまた連絡が来て、“ダイスケ、練習は?今迎えに行ってるんだけど?”(笑)“いやいやいや、僕はもう行きません!昨日断られました!!”って。それでもオディーシャの練習参加中にタイの監督とオーナーの側近みたいな人から連絡があって、“やっぱり欲しい、給料いくら欲しいんだ?”と。逆にコチラから、“じゃあ、いくら僕に払えるんですか?去年はこれだけ貰ってましたよ”って言ったら、提示された額が去年の50~60%減だったんです。“ごめんなさい!一緒にやりたいけど、その給料だったら無理です”って…。」
-ごめんなさい、でもないとは思うんですけども。
「『立つ鳥、跡を濁さず』じゃないですけど、ちゃんとしておいた方がいいと思って(笑)“練習参加させてくださってありがとうございました”と。そこからオーナーの側近からの返事は来なかったんですけれど、ウィンドー締切の2時間前くらいから、監督からは鬼のLINEが来てて。“本当に来てくれないか?マネージャーもこのくらいの額ならいいって言ってる”とか。まぁ、その額は前日に提示されていた金額より1万バーツ少なかったんだったんですけど(苦笑)そうしたら、もう1万バーツ上乗せするからって。それでようやく前日の金額なのに(笑)なんか、そういうやり取りばかりで、駆け引きされるのが嫌だったんですよ。“12月までのハーフシーズンの契約でいいから!”とも言われたので、“半年でもこの給料は無理です”ってお断りしました。」

「確かにオディーシャも練習参加しているとはいえ、どうなるかわからない状況だったし、僕もこのオファーを蹴ったら所属チームがなくなる。冷静に考えれば、タイのクラブでなら50~60%給料下がるというネガティブな面ばかりではなく、1部というカテゴリーでプレーし続けられるというプラス面があることはわかる。昔の僕だったら、“どうしよう、どうしよう”で絶対タイのクラブと契約してますね。でも東南アジア、特にタイだと、どのチームがどの選手にいくら払ってたか知られてるらしいんですよね。だから、次に移籍する時に足元見られる。それに、タイに行った時に例の(坂井選手のかわりに契約した)選手とも話したんですよ。そうしたら、サインしたのに自分だけ公式発表されない、他の外国人選手は発表されているのにって言ってました。もしこのチームと1年契約を結んだとしても、このチームだったら半年でクビを斬られるかもしれない。6月のこともあったし、何も問題がなくともオーナーが嫌いって言えばクビになる世界。だから直感的にやりたくないって思っちゃったんです。」
対してオディーシャは坂井選手にとって、インドサッカーへの興味をわかせるような魅力あるチームだった。バルサアカデミー出身の監督らしく、練習が面白かったことも好印象だった。
「インド人選手はホント若くて20代前後。5人いる外国人選手はみんな30オーバーでしたが、いい選手ばかりでしたね。チームはアジア枠とだけはサインしてなくて、10番タイプを探していましたんです。それで、監督が10日の練習試合を見てから、僕を獲るかどうか決めるって言われました。その試合で1アシストしたので、手応えがあったんですよね。でも、13日に言われたのが、“すごくいい選手で獲得を前向きに検討していますが、監督が求めているのは経験がある選手、チームをまとめられる30代の選手が欲しい。ただ、ウインドーが閉まるまで残り2週間、そう簡単に選手が見つかるとも思っていないので、見つからなかった時はまた連絡していいか”って。もちろん、これ以上結論を長引かせるわけにはいかなかったんで、ぜひお願いしますと答えました。でも、僕も最後の最後で断られたら…とも思ったので、監督には“オディーシャの、監督の答えを待ちますが、キャンセルされたら行くチームがなくなるから日本でも探させてください”とも答えたんです。」
しかし、日本のクラブが無所属の選手を獲れるのは9月6日まで。しかも、ほとんどのクラブが新シーズンの戦力補強を完了しており、そのために余分な人員を獲得できる予算など残っていないはず。所属チームがなくなるかもしれないという恐怖を感じながら、オディーシャからの連絡に最後の望みをかける坂井選手。だが、最終的に彼に声をかけてきたのは予想外の大物クラブ。本来は縁もゆかりもないはずの、同じインドリーグに所属するライバルクラブからだった。
「実は僕をオディーシャに推薦してくれたインドの代理人が、タイの代理人経由で僕の過去の映像を観てから、めっちゃ惚れ込んでくれたんですよ(笑)で、オディーシャの返事を待っている間も、ずっと他チームに売り込んでくれていて。そこに、たまたまアジア人枠が空いたケーララが。結局オディーシャの方も、その2日前にアジア枠が決まったらしくて。それがサイ・ゴダードだったんです。今季からオディーシャに来たスペイン人監督はもう5年くらいインドでやっていて、スーパーリーグの中ではかなり名前が通った人だったんですよ。その前はFCゴアとかムンバイ・シティっていうビッグチーム2クラブを指揮していて、優勝もしてるくらい。彼はオディーシャに過去一緒にやってた外国人選手も連れてきて、ムンバイで一緒にやってたサイもまた自分のやり方がわかるから、っていうことらしいんですよね。あれ、経験ある選手じゃなかったっけ?なんで僕より年下のサイ?って思ったけど…僕もケーララ決まったし、サイと10年ぶりに会えるからいいかなと(笑)」

ケーララのスポーツダイレクターのカロリス・スキンキーズ氏は、インディアン・スーパーリーグの公式サイトの取材に対し、次のように語っている。
「ダイスケのプロフィールは、監督にさらに多くの選択肢を与える。彼は海外でプレーした経験もあり、それがインドサッカーへ苦もなく適応するのに役立つと確信している。今シーズン、ダイスケがケーララで頭角をあらわすのを楽しみにしている。」
インドのクラブは選手獲得の際、経歴を非常に重視するという。坂井選手は前所属が2部リーグだったため、代理人からはスーパーリーグへの移籍は本来120%無理だと言われたという。運命を左右した大きな要因は、坂井選手には長年にわたる年代別代表、さらにはU-17・U-20W杯出場という実績だった。様々なクラブの都合に振り回されたオフシーズンだったが、坂井選手を最終的にインドへ導いたのは、これまで多くの修羅場を乗り越えて来た努力と経験の積み重ねという、ある意味必然とも言えるものだった。それでも坂井選手は「僕は運がいいから」という言葉を繰り返す。
「外国人が1人ケガをして、開幕2週間前にも1人ケガをして。そうすると実質外国人選手は4人になっちゃう(※インドリーグのレギュレーションで、外国人選手登録は6人可能だが、ピッチに出れるのは4人まで)じゃないですか。そうなると開幕戦からスタメンで出れて、そこからずっと連続で出させてもらって。いまケガ人は戻ってきてはいるんですけど、チームが勝ち続けてたり(※インタビューをおこなった2023年11月初旬時点でリーグ2位)僕も直近の試合(※第6節イースト・ベンガル戦)で初ゴールが取れたりして、そういう運も味方してくれてるっていうのはありますね。」


だが、運だけでアジア人気No.1クラブのスタメンを掴めるほど、フットボールの世界が甘いはずはない。インタビューの最後、今季の目標について語っていただいた際に、どこまでも謙虚な坂井選手の心の内に秘めた自信と情熱を垣間見たような気がした。
「スーパーリーグの他のチームを見ても、アジア人がスタメンで出ているチームは少ないです。どのチームもヨーロッパ人の監督なので、外国人6人いる中でわざわざアジア人出さないですから。試合数の少ない中で、どう自分をアピールするか。今シーズン、アジア枠の中でトップに立ってやろうと強く思ってます。」
インドで始まる“坂井大将 第3章”は、おそらく読みごたえがあるに違いない。
【※あなたはインドサッカーをどれだけ知ってる?坂井選手が教えるスーパーリーグ、インタビュー前編はコチラからどうぞ。】

坂井 大将(さかい・だいすけ)
1997年1月18日生まれ、長崎県出身。
地元のJFCレインボー長崎から中学入学と同時に親元から離れて大分トリニータU-15へ。早くから年代別の日本代表に選出されており、2013年のFIFA U-17ワールドカップ(UAE)ではチュニジア戦での同点弾などでチームのベスト16進出に貢献。2014年にはサポートメンバーとしてブラジルW杯に臨む日本代表チームのサポートメンバーに選ばれた。また、2016年のAFC U-19選手権(バーレーン)では史上初となる同大会優勝、続く翌年のFIFA U-20W杯(韓国)では16強入りし、ともにキャプテンとしてチームの躍進に大きく貢献。2018年には引き続きU-21代表にも選ばれている。高いテクニックと豊富な運動量に加えて、“黒子”として攻撃のリズムを作ることができ、さらにはトップ下やボランチにサイドバック等と複数のポジションをこなせる優れたユーティリティー性を兼ね備えたマルチプレイヤー。英『ガーディアン』紙が選ぶ「次世代を担う世界の若き才能40名」に唯一の日本人選手として紹介されるほど、その能力には高い評価が与えられている。また所属クラブでも、正式なプロ入り前となる2014年の天皇杯2回戦に自ら得たPKを決めクラブ最年少得点記録というオマケ付きのド派手な公式戦デビューを果たした。大分でのトップ昇格以降はテュビズ(ベルギー)、アルビレックス新潟、ザスパクサツ群馬、ガイナーレ鳥取(※いずれも期限付き移籍)を経て、2021年に当時タイのサムットプラーカーン・シティの監督を務めていた石井正忠氏(現 タイ代表監督)に請われ、再び日本を飛び出しアジアの舞台へ。2022年にカスタムズ・ユナイテッドでチームの主力としてプレーした後、2023年からはインディアン・スーパーリーグのケーララ・ブラスターズへ活躍の場を移す。
●Instagram @daisukesakai118
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投稿者プロフィール

- LADS FOOTBALL編集長
- 音楽好きでサッカー好き。国内はJ1から地域リーグ、海外はセリエAにブンデスリーガと、プロアマ問わず熱狂があれば、あらゆる試合が楽しめるお気楽人間。ピッチ上のプレーはもちろん、ゴール裏の様子もかなり気になるオタク気質。好きな選手はネドヴェド。
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